川崎エッセイ   デジタル漫画と原画     HOME

 図形ソフトとタブレットペンを使うことで、パソコンで漫画が書けるようになった。
 しかし、ここで一つの問題が生まれた。手書きの肉筆漫画に比べ、デジタル処理で書かれた漫画の原画としての価値だ。
 原画は一枚しか存在しないが、デジタル漫画はいくらでも複製出来る。原画という概念ではなく、データファイルとしての存在になるためだ。そのファイルをプリントすることで、始めて原画らしきものとなる。
 誰がインクで紙の上に書いているのかと言えば、それはプリンタなのだ。
 つまり印刷するまでは、空中に漂う蜃気楼のようなもので、デジタル処理でそれを見えるよう映し出しているだけなのだ。モニターに映し出されたそれを見ながら書いていると、同じ顔を何度も書くより、コピーして貼り付けた方が理にかなっていること気づく。
 漫画のキャラクタは、繰り返し登場するため、同じ顔になるように、いわば自分の絵を自分で真似ながら書くわけだ。手書きコピーのようなものである。
 ところがパソコン漫画では、同じ絵をコピー&ペーストで、いくらでも貼り付けることが出来る。その場合完璧に同じ顔だ。
 構図に合わせ、その顔を拡大や縮小、回転や変形も可能だ。
 しかし、何か罪深いことをしているのではないかという後ろめたさもある。
 デジタル漫画でも、手書きと同じ方法で書くことも出来るが、それなら最初から手書きで書けばよいのだ。そしてスキャナで取り込んでデジタル化すればよい。
 しかし、アナログデータをデジタル化するのではなく、その過程もデジタル的に書くほうが、デジタルの海では自然な泳ぎ方だ。
 デジタル化することで、手書きでしか出せない何かが、去勢される。しかし、去勢されることで、従来からあった何かの呪縛から解き放たれることもあるのだ。