川崎エッセイ  伊丹の果てから 三井グランド  川崎サイト

 

三井グランド


 昭和三十年代、小学生だった僕にとって、遊ぶ場所は限られていた。これは同世代の遊び友達との関係で、決まっていたように思う。やはり同じ年代の子供と遊ぶ方が自然だったが、もう少し上の年代の、つまりお兄さんやお姉さん達の遊び方にも興味を抱いていた。今から思うと、それほど変わらないのだが、その頃は数年の年の差が数十年差のように感じられた。
 近所に住むお兄さんに台湾ドジョウを見せてもらったことがある。バケツの中で泳いでいるそれは、普通のドジョウではなく、ナマズやウナギに近いもので、こんなものを何処で捕って来たのかと不思議に思った。
 このお兄さんのお兄さんは、この町内では最年長の少年で、僕から見ると、もう大人だった。武庫川で水鳥の雛を捕まえに行ったりし、その行動に憧れたものだ。
 その台湾ドジョウは三井グランド近くの川にいるという情報をお兄さんから得たのだが、そんなドジョウが泳いでいそうな大きな川はない。それがものすごく謎で、台湾ドジョウの巣(?)が三井グランド周辺に隠されているのではないかと想像したものだ。
 僕が馴染んでいたのはフナやモロコやエビガニで、それらは元プールだった貯水槽に行けば、毎日のように釣ることが出来た。後で考えると、ここは川と繋がっていないため、他で釣った魚を放していたのだろう。
 それでも畦道に沿って流れている小川へ行けば、メダカぐらいは泳いでおり、網ですくえたし、カエルやエビガニは邪魔になるほどいた。もう少し大きな川が南野に流れており、これは武庫川から来ている水のようで、フナやモロコやタナゴが泳いでいるため、これも網ですくえた。釣りをするほどの水かさはないのだ。この川にも台湾ドジョウがいたかもしれないが、一度も遭遇したことはない。
 台湾ドジョウを捕獲すれば、同年輩の遊び友達の鼻をあかせると思い、三井グランドへ行くことにした。南野を抜けると、野間になる。ここはもう異国なのだが、野間の子も同じ小学校へ通っているため、多少は馴染みがある。しかし、三井グランドのある場所は野間の農家が並んでいるところとは違う方角にあり、田園が恐いほど広がっている場所だった。
 三井グランドは巨大な運動場である。ここは中へ入れないのだが、敷地内を通り抜けるための小道があった。グランドには一度だけ町内会の野球の試合で連れて行ってもらったが、その広さに驚いたものだ。今、その場所はゴルフの練習場になっており、巨大なネットが張られ、かなり遠くからでも見える。これが出来たときもゴルフの練習場とは知らず、軍事用のアンテナ(象の檻とか)ではないかと思ったほどだ。
 グランドの周囲は川が堀のように囲んでおり、その川を超えても、今度は植え込みがあるため、中に入るのは無理だった。この植え込みによる垣根は長く、地平線まで続いているのではないかと思えるほどだ。こんな広い敷地を持つグランドが田畑の真ん中にぽつんとあることも異様だった。
 そのグランドの横に近畿中央病院があり、ここまでが冒険の南限だった。その先は住宅地になっており、ちょうど新伊丹と似たようなお屋敷が並んでいた。もうそこは尼崎との境だ。
 僕らの住む伊丹市が近畿地方だということを、近畿中央病院の名前で知ることが出来た。しかも伊丹は近畿の中央部にあることも、これで分かった。伊丹市が兵庫県にあることよりも、近畿という規模で見ることで、広さを意識した。三井グランドもその病院も「近畿」というものに属するような規模の建物だったのだ。
 しかし、子供の僕としては台湾ドジョウのほうが問題だった。よく考えると近畿の規模よりも、台湾という呼び方のほうがアジア的な規模なのだが、そんなことなど気付かず、単に巨大ドジョウのことしか、頭になかったのである。
 それで三井グランの周囲をウロウロしただけで、台湾ドジョウが生息している場所を確定することは出来なかった。グランドの横に池があり、そこにいるのかもしれないと考えたのだが、ドジョウという意識が強くありすぎて、小川の泥の中にいるはずだと思い、グランド周辺のドブ川ばかりを探したのだ。
 今となっては、そのお兄さんが何処で台湾ドジョウを捕獲したのかは、謎のままである。


1999/2/20


 

川崎エッセイ  伊丹の果てから 三井グランド  川崎サイト