川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その1  邪金     HOME
 

 もののけ紀行とは何か? これはタイトルなのじゃ。タイトルは内容とイコールでない場合もあるが、それはタイトル文字の意味を取り違えた場合に生じやすい。

 しかしじゃ、世の中は誤解で成立しておるようなもので、目くじらをたてておると、体が持たんわけじゃ。 「もののけ」なるものが、そもそも誤解の産物で、あるものを、あらぬものに見えてしまう存在である。あるものとあらぬものとの違いは、本人にも気づかぬ時がある。この種の幻想にかぶれた人とつきあうと、大変疲れるのはいうまでもない。

 さて「もののけ紀行」も、場合によっては人を疲れさせる種のもので、あらぬものを、あたかもあるように語っておる。しかし、ここに登場してくるもののけ(妖怪)は、嘘であることを、最初に宣言しておく。それによって、多少なりとも疲労度を和らげることができるかもしれないからじゃ。なに、もう、ここまで読んだ時点で疲れたじゃと。それを言うな、わしも疲れておるのじゃ。虚言をはくにはそれなりのエネルギーが必要で、後ろめたい気持ちを維持した状態で、ペンを進めておるのじゃ。

 大阪梅田周辺の地下街に、妖怪がいると言えば、もうそれだけで真面目な読書子を疲れさせる。この種の物言いには、それなりの裏があり、敢えてそんな虚言をはいておると、考えるのが常識じゃな。その裏とは、語れないもので、もろに言ってしまうと、危なきことになる。

 暮らしの中での危なきことの一等は「金がない」である。世の中、ほとんどのことは金で始末できる。「金がないこと首がない如し」じゃ。

 今回の妖怪「邪金」が出現する場所はJR東西線北新地駅近くの地下街じゃ。「ディアモール大阪」なる名前が付いておる。地下街は迷路じゃ。迷いやすい場所に、なぜこんななじみにくく、わかりにくい名前を付けるのじゃ。そういえば、神戸の高架下商店街も、妙な愛称が採用されておる。それなりに古い、ミナミの「虹の街」も、噂には聞いておるが、それがどこにあるのか、わしは知らんのじゃ。梅田地下街とホワイティー梅田の違いもわからん。これもまた、タイトルを聞いても、内容が分からない例じゃ。

 しかし、金を借りにうろうろしている連中にとって、借りる場所が曖昧な場所で、曖昧な愛称の業者のほうが、罪悪感が少ない。サラ金利用で借りたり返したりする場合、その現場を人に見られとうはない。その意味で、ディアモール大阪や大阪駅前ビル一帯は、豊かな環境だといえる。人が少なく、サラ金の機械まで、誰知られず近づける環境は、豊かと言うほかない。

 妖怪「邪金」とは、首のない人間のことじゃ。ヘットレスじゃ。前にももうしたように、金がなければ、首がないのと同等なのじゃ。首の上には顔がついておる。その顔もないわけじゃ。まあ、金がないと人に合わせる顔もなくなるということじゃな。

 従って、金のない人間は、もはや人ではないのじゃ。それでは困るので、金を借りることになる。サラ金へ向かうその姿は、スーツスタイルをしておっても、わしの目から見れば、それは妖怪邪金の形相として映るのじゃ。

 妖怪邪金は救済を求めてお地蔵様を目指す。しかし神や仏が災いの元凶になる場合が多いのじゃ。

 先日千日前で信号待ちをしておるとき、怪しい男が「人は神によって造られた」と独り言を何度も何度も大声で叫んでいた。実際には、人が神を造ったのじゃ。

 人が地下街を造り、不自然な通路を造る。すると怪しげな結界が生じる。そこに今風な妖怪が発生するのじゃ。その妖怪たちも、実は人が造ったものなのじゃ。社会が造ったものなのじゃ。では、今回はここまで。

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