川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その4  毛馬の肛門     HOME
 

 水戸の隠居といえば、水戸黄門。黄色い門は肛門を連想させよる。「目と肛門」と洒落ておる場合ではない。まあ、目も肛門も患うと厄介じゃ。

 江戸時代に書かれた「病草子」などは、患った人達を妖怪的にデフォルメされておる。情け容赦なく大胆に描写されており、今そんなのを書けば、苦情が殺到するはずじゃ。しかし、昔はその意味で無邪気というか、大胆というか、露骨じゃた。

 今は昔ではない。従って、滅多なことを書けぬ時代じゃが「人ではない」妖怪変化に触れるのは、さして問題ではないだろう。なぜなら、いたら、大変だからじゃ。

 水戸の黄門は、御老公であり、彼は妖怪ではないが、大阪には「毛馬の肛門」と名乗る妖怪が今の都島区毛馬町にいたらしい。ここは淀川の水を水都大阪に導く水門のある場所じゃ。この水門がおかしくなると、大雨が降ったとき、淀川の水が、旧大川に流れ込みすぎて、中之島やその周辺が水浸しになるやもしれぬゆえ、大事な水門なのじゃ。

 その日、もうすぐ桜が咲こうかという季節にしては、真冬に戻ったかのような寒さで、しかも雨まで降り出しておった。
 梅田の喫茶店へ行くと、先に来ていた助手のガンジーが市内地図を見ながら、毛馬の水門の位置と、交通手段を調べておった。どうやら、地下鉄谷町線都島駅から歩かないと、行けないらしい。寒いし、雨も降っておるので、近場の妖怪探索に切り替えようと思ったが、ガンジーは打ち合わせどおり毛馬を目指したいらしい。

 都島の地下鉄階段を上ると、ざーざーと雨が降っておる。こういう空模様こそもののけ紀行にはふさわしいのじゃが、今回の毛馬肛門は時代劇映画「水戸黄門漫遊記」のように、晴れ渡った青空の下で、淀川堤を紀行したいと思っていただけに、イメージが全く違っておった。

 旧大川岸に出る寸前で、ガンジーがポルノビデオの自販機を発見した。しかしよく見ると、生きているのか死んでいるのか、お金を入れないとわからない状態で、もし一万円札でも入れて、そのまま喰われてしまったら、泣くに泣けぬ。どことなくこれは妖怪じみて見える。誰も設置した覚えのない場所に、ある日出現し、お金を入れても、うんともすんとも反応せぬのじゃ。この妖怪「万札喰い」こそ、今風の妖怪をテーマとするもののけ紀行にはふさわしいようじゃ。しかし足は、水門へと向かう。アドリブで、取材ネタを変えるわけにはいかぬのだ。

 靴のかなに水が入りだした頃、毛馬の水門にたどり着いた。この水門が妖怪なのではない。巨大な肛門の妖怪だと言えば、当局から叱られがな。

 毛馬肛門は、淀川の流れに乗って、大阪市内に入り込もうとする悪い妖怪を、肛門を見せて脅かし、帝都大阪を守護する善なる妖怪なのじゃ。これはもう典型的な勧善懲悪を絵に書いたような妖怪なのだが、いかんせん、その方法が汚いため、神になれずに、妖怪のまま汚れ役を演じ続けておる。

 昔、淀川の水運は京都と大阪をいけいけ状態にしておった。下流にあたる大阪は、汚れたものや、忌み嫌われるものまで流れ着いておった。それが大阪を下品なものにした、原因じゃと、わしは考えておる。しかしそれらを受け入れる大阪をわしは好む。

 そして、邪なるものを見張る役目の毛馬肛門がぼんやりしておって、それを見逃して通過させるところも、この妖怪の風情がよく出ており、好ましい。まあ、肛門を見せて驚いて逃げてくれる妖怪ばかりではないので、毛馬肛門の「印籠」の力にも限界があるのじゃ。  取材を終えた直前雨がやみ、太陽が顔を覗かせた。毛馬肛門の下痢のような空模様(汚いなあ)に、何故だから懐かしいものを感じた。それは、肛門ネタにこそ、男達の臭いロマンを感じるためじゃろう。

「雨降って痔固まる」と、落ちにもならぬ言葉を言ってみとうなる、雨の大阪じゃった。

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