川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その7 妖怪あべの原人 HOME
妖怪「あべの原人」を探索しに阿倍野へ向う。北京原人や明石原人は過去に存在しておる本物の原人じゃが、あべの原人は妖怪もののけの類。これは文化妖怪学の世界で、霞のような雰囲気から考証するイメージ学でもある。
阿倍野の地は、わしが住む伊丹から見ると、天王寺とごっちゃになっておる。実際問題阿倍野へ行くには梅田から地下鉄でもJRでも天王寺で降りる。天王寺区と阿倍野区の境界線があやふやなのじゃ。天王寺に来てるつもりが阿倍野だったり、その逆もあったりで、わしを悩まし続けたこの土地に、その日は探索のメスを入れることにした次第。
そしてわしは助手のガンジーと共にあべの銀座の奥深くに潜入したのじゃ。 国内に点在する「何々銀座」の一つがあべの銀座。これは「銀座リンク」じゃ。余談じゃが「横町リンク」もある。いずれも共通する種類の人間が生息しておる。
では、あべの原人とはなんぞや? これはその土地特有の種族で、その街の雰囲気とほぼ同寸の人種を指す。その人種がいるからその街ができたのか。その逆か、などの考察は鶏が先か卵が先か……に近い。
さて、天王寺駅前のファーストフード店からあべの銀座に入った瞬間、別世界に入り込む心境で、この奥に謎めいたものをいやが上にも感じてしもうた。まあ、それは今風ではなく、ある年代の香りに圧倒されたわけじゃな。
その年代は時代劇のように古くはなく、レトロというほどには洒落てはおらぬ。
あべの原人は移りゆくこの街から姿を消しつつあるようで、あべの銀座の奥は建物もとり壊され、更地になっておった。帝都大阪のど真ん中に、こんな空間があるのは異様と言うほかない。
それはあべの原人の遺跡のようにも受け止められる。当然誰も発掘調査などせんが、そこに足を踏み入れると、どう見ても発見された古代遺跡のように見えてしまうのは、わしだけだろうか。
あべの原人はたき火をするらしく、たき火禁止のボードがある。その横の電柱にはあべの原人が残したらしい帽子もある。
大衆演劇用の小道具や衣装を売っておる店をガンジーが発見する。あべの原人との関係を考察。結論は「買う人がおる」で、それはアクセサリーやインテリアで買うのではなく、文字通り必要性があって本気で買える、原人ならではの展開なのじゃ。
取材を終え、今風なショッピングビルに入る。その地下の食べ物屋に入るが、何か原人の香りが立ちこめた。案の定、店の客はあべの銀座の一杯飲み屋と同種の振る舞いで、あべの原人の系譜が廃れていないことを実感した。
妖怪あべの原人とは大阪現代人の根底にくい込んでおるところの何かなのじゃ。それは文化的には古い階層に属しておるとはいえ、大阪文化が持つベタな何かじゃ。
わしは出汁巻き定食を食べながら、探しているあべの原人こそ、わしやガンジーそのものを指しておるのではないかと、ふと思い当たってしもうた。これぞまさに妖怪あべの原人の仕業で、街は美化され、モダンな建物が建とうと、人はなかなかそれに合わせ倣えぬのは、この妖怪の悪戯と解釈すべきじゃ。
泥臭さを極力避けようとした場に、この妖怪が出現し、一昔前の状況に連れ戻してくれる。その意味ではあべの原人は良い妖怪なのじゃ。この原人臭さを抜いてしもうた街が、なぜか空々しく、わざとらしく見えてしまうのは、たまには良いことなのじゃ。原人の持つ人間臭さこそ、人を大事にする街でもあるわけで、この妖怪はそれに気づかせるかのように、ベタな電波を送ってくれるのじゃ。
空を見ると、そこに通天閣があり、あたかも電波の中継をするかのように、立ちはだかっておった。