川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その9  妖怪天下邪夜     HOME

 大阪市内に「天下茶屋」なる地名がある。地下鉄に乗ったとき、「天下茶屋行き、ただいま発車します」などとアナウンスされるゆえ、それなりに聞き覚え、見覚えのある地名のはずじゃ。
 一体いかなる場所なのかと、わしは長年想像を逞しゅうしておった。同時に、こういう変わった地名には妖怪もののけの類が集まることも心配しておる。
 天下一の申せば「天一」。これは中華そば屋。その「天下」なら、天下人だった太閤秀吉とも関わるはず。秀吉は茶人じゃ。ゆえに茶屋とは、天下一の茶店があった場所と、わしは思いこんでおる。その伝統を引き継ぎ、天下一の喫茶店があるはず。それにふさわしい妖怪が棲息しよる可能性もありと踏んで、地下鉄天下茶屋駅に降り立った。
 地下鉄と南海の二つの駅がそこにあり、駅前を見た限りでは天下茶屋のイメージなど微塵もない。しかし、ここは表玄関、真実は裏側じゃ。いくら表を飾ろうと、町内全てをモダンにできるほど、大阪下町は素直ではない。
 助手のガンジーが、商店街らしき入口を発見。それもかなり古い。早速侵入。
 天下茶屋、天下一の喫茶店在りし町と睨みをつけただけあって、古い喫茶店が何軒もある。じゃが、一般の通行人が入れるような趣ではない。町内茶人の免状が必要ではないかと思えるほど、客は固定しておるようじゃ。
 商店街、さらに進むとチンチン電車走りし駅に到着。その駅、北天下茶屋。町内の露地にいきなり線路とホームが出現する図は、つげ義春漫画の名作「ねじ式」を連想せると、ガンジーが感想を述べる。
 駅の看板で「天下茶屋聖天」なるものを知る。お茶関係の妖怪探索を諦め、寺社関係縁起物、民俗学的正統派妖怪へ切り替える。
 商店街露地は続く。「お口の恋人…」と書かれし古き良き時代のチョコレート看板が、まるで新品のごとく飾られておる。この手入れのよさに、天下茶屋の鮮度を感じ取る。古さが死んではおらぬ町なのじゃ。
 適当に歩くうちに公園に入る。何者かがキャンプでもしておるようじゃが、それは見なかったことにするのが礼儀。
 公園の端に散歩コースあり。鬱蒼と繁りし樹木の中、山中を思わせるような小径が続いておるが、人が歩いた形跡、ほとんどなし。
 ガンジーが、妙なものを発見。何かと思えば石仏の後ろ姿。よく見ると、この公園、神社と隣接しておる模様。早速境内に入り込むが、どうやらここが天下茶屋聖天の敷地らしい。いきなり奥の院から侵入したことになる。
 ガンジーが見つけた石仏を今度は正面から見る。この時、わしは雑多な気配を感じ取る。石仏は一体だけではなく、無数存在しており、おそらくは、何かの事情で、ここへ運び込まれ、保護されている模様。普通のお地蔵様もあれば、お稲荷さんもあり。狛犬もいる。それらが、びっしりと集結しておる。まるでキャンプ地じゃ。
 ただならぬ気配は、石仏の周囲から漂う。この妖怪、土地開発とかで居場所を失いし石仏に追従してきた、流浪の妖怪。
「天下邪夜」。とっさにわしは、この、もののけ現象に名を与える。この妖怪達は、有り難き石仏の周囲で、静かに暮らす妖怪にて人畜無害。元来、邪悪な存在なれど、仏のお力で、その従者となった妖怪じゃ。普段は、石仏を守護し、お供え物を食べて生きておる。
 天下茶屋の、天下は、天の下、つまり野外の意味。流浪の妖怪が棲息する天下邪夜現象は、蛍と同じく、自然が破壊が続く昨今、生息条件が、難しい。これは、保護しなくてはならぬもの。
 この妖怪が祟るとすれば、それは、石仏を破壊したときじゃ。そっと見守ってやれば、石仏周囲に聖なる雰囲気を醸しだし、聖域の結界を張ってくれよる。
 触らぬ神やもののけに祟りなし。わしらは、見て見ぬふりをしながら、奥の院から、聖天さん境内を抜け、北天下茶屋駅まで下り降りた。天下はお上のご意向のみでは成り立たぬことを確認しながら……。

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