川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その10  妖怪桑名大蛤     HOME

「その手は桑名の焼き蛤」という言葉がある。その手には乗らぬぞ…と言うようなことじゃ
。「その手」の手は「手口」の手で、これはあまり良い手ではない。人を騙そうとする手じゃ。
「騙す」は「化かす」に繋がる。化かすと言えばもののけ妖怪の類。それ故、桑名に妖怪がおるとわしは昔から考えておった。きっとそれは蛤に関係するだろうとは推測できる。
 さて、折良く三重県桑名へ別件取材に便乗したわしとガンジーは、続大阪もののけ紀行最終回慰安旅行のつもりで近鉄特急に乗り込んだ。この雑誌の規模から言えば、国外取材に近い大遠征。
 車中二時間。ようやく辿り着きし桑名の街。駅前の台湾ラーメン店にて、名古屋弁を聞く。南利明の懐かしのCM「ハヤシもあるでよ」そのままのイントネーションに感動す。これ三河万歳に繋がるかどうかは謎なれど、もののけ紀行とは無縁な詮索。ここは名古屋に近いことを実感するのみ。
 次に訪れしは、別件取材の女優一色忍さん初舞台となりし劇団。クルマは路地をくぐり抜け、墓場前の稽古場に到着。生々しい墓石群、焼き場の煙突。ジャンル的にこれを見て触手を動かさぬは「据え膳喰わぬは男子の恥」。吸い寄せられるように、わしは小雨降る焼き場の前に立つ。
 このとき既に、わしらは「蛤の妖怪」の術中にかかっておったのじゃ。墓場に妖怪、これほど芸のない取材はない。しかし、墓場を見て、ついついその手に掛かってしまったのじゃ。それならば、その手は桑名の焼き蛤になってやろうとわしは決心する。幸いにも焼き場施設は使われておらんようなので、桑名で焼かれないですむはずじゃ。桑名に来て、焼き蛤になっては「そのまんま」ではないか。
 実はここで、わしはこの妖怪の感じを掴むことができた。そして、それを確かめるべく海へ向う。しかも目指すは伊勢湾。おお、何という雄大なスケールで描くもののけ紀行であろう。
 蛤と言えば海岸。このべたべたの発想こそ、蛤の妖怪の術中なのじゃ。しかしその手に乗らぬと敵の正体は掴めぬわけよ。
 渡し場に到着した一行は総勢五人。別件便乗取材故、この人数で動いておる。まるで水戸黄門漫遊記のような…と、感じたとき、そこに肛門があった。いや、間違いじゃ、水門じゃ。このあたり大きな川が合流しておるらしく、淡水と海水が混ざり合い度が高いようじゃ。そういう接続点、合流点こそもののけ現象も多い。
 助手のガンジーが水門を見ながら「蛤御門」と呟く。この物言いも「その手…」に乗った言動だ。わしも乗せられるまま妄想を開始す。そしてはたとひらめいたのは、巨大な蛤が水門に挟まれ絶命した絵じゃった。
 水門の下に降りると渡し場後がある。「なるほどそうか」と、解答を得た。大蛤は渡し船に乗ったのじゃ。「渡りに船」つまり、「その手…」と同じく、目先の単純なものに乗せられたのじゃ。そして大蛤は桑名から離れてしまう。縄張りを捨て、可愛い子分とも別れ別れになったのじゃ。
 この桑名大蛤は異国にて「その手に乗った」ことを悔やみながら、この世を去る。しかし、悔やむ気持ちが妖怪を生んでしまい、妖怪桑名大蛤として再び桑名に戻り、人を「その手…」に乗せる悪戯を始めるようになったのじゃ。
 わしは霊視にて、このドラマを知り、涙ぐんだ。そして供養のため桑名の焼き蛤を食べるようと、桑名駅前の食堂へと向う。
 この供養、深く考えずとも「その手…」に乗っておる。桑名に来て、桑名の焼き蛤を食べる…しかし、この短絡性こそ、ひねりすぎた世の中にとってはオアシスなのじゃ。
 さて、もののけ紀行、今回で最終回。この続き「渡りに船」があるならば、再会できよう。読者諸氏の健康を祈りながら、これにて完。
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