川崎エッセイ 新・大阪もののけ紀行 その13 妖怪守愚痴 HOME
地下鉄谷町線終点の駅大日に降り立つ。地下鉄なので上がると言うべきか。
大日は大日如来のパッチ物妖怪でもおるのではないかと思いしや、さにあらず。あらぬどころか、妖怪そのもののいる気配とてない。
わしと助手のガンジーは梅雨明けの暑苦しい国道一号線沿いを当てなく歩く。排気ガスと地熱で、もはや先へは進めなくなり、妖怪大日の探索を打ち切った。駅前に喫茶店とてなく、脱水症状が出る前に、地下穴に潜り込み、矛先を守口へと向ける。
もののけ紀行、それは古典的妖怪ではなく、この時代に発生せし現代妖怪がメインなれど、その種の妖怪さえ出ぬ町もあるのじゃ。
まあ、妖しいものなど出ぬ方がよいのだが、全く出ぬのも町としては物足りぬ。
地下鉄守口駅階段を上ると、そこにハンバーガー屋がオアシスのように現れた。
「夏休みやから子供ばっかしや」とガンジーは、ハンバーグをかじりながら周囲を見渡す。ファーストフード店なる空間は、それにふさわしい人種が集まる。しかし、わしの霊感は妖怪を感知出来ぬ。さすがの現代妖怪も立ち入る隙がないようじゃ。
守口や関目は大阪城から見れば、関目は関所、守口は大阪城の守り口。しかも、ほぼ鬼門の方向。
ファーストフード店を出たわしらは国道一号線沿いから、招き寄せられるが如く、とある枝道に誘い込まれる。
提灯屋やお地蔵さんを祭った祠などが現れる。銀杏の巨木が涼しげに寺の甍を撫でる。
わしはこの景観を見て、ほっとすると同時に妖怪の気配も感じた。この景観や小さな風土を守ろうとする何者かの意志がそこにある。
その意志、石となり石地蔵の姿に化けた妖怪「守愚痴」…。
この妖怪は守護系にて、サッカーで言えばゴールキーパーのような守り神。
ふと、周囲を見渡すと、そこは旧街道にて、その名も京街道。いにしえの妖怪が京大阪間を闊歩しておってもおかしくない場所。
しかし、時代はその痕跡を次々に奪う。それをぼやきながら守るのが守愚痴。
レトロタイプの現代妖怪は、古典妖怪の形をしておるが、いにしえの妖怪とは性質を違にしておる。
この妖怪は人や土地への祟り神だったころの無邪気さはなく、最後の砦の守り神となっておるのじゃ。
その守るべきものとは、土着的風情や雰囲気。それらは町にとり、何の機能も果たしておらぬ精神的空間。なくても困るものではないが、それがゴッソリ取り除かれると、闇へのアース機能が失われ、人や町が無防備となるのじゃ。そのため、人や町が直接ダメージを受ける。
と、まあ、これはわしが見た闇世界の構図にて、単なる観念。何の根拠とてない妄想。
さて、わしらはやっと見つけた「あらぬ存在」としての妖怪守愚痴の愚痴を聞きながら、京阪守口市駅方向へ向かう。その歩きし路面が妙だと思えば、どぶに蓋して、歩道と化した路地だった。散歩者にとり、車の入り込まない小道はありがたい。闇と化したどぶも、また妖しい。
ありがたついでに、豊臣家の馬印と同じ名のうどん屋に入る。妖怪守愚痴の結界内のためか、吉本新喜劇にでも出てきそうなおばあさんや嫁やその子供だろうか、賑やかに店をやっておる。
わしらは花木京と岡八郎になった気分にて、きつねうどんを食べ、大汗をかいた。
人知では伺い知れぬ雰囲気や気配、それを「もののけ」と呼ぶなら、それがいる町は健全だ。