川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その3 花見      HOME

 桜はぱっと咲いてぱっと散る。そのため油断していると花見に行くチャンスを逸する。また、雨など降ると花も散りやすい。せっかく予定していた花見も、空模様で中止になりやすい。例年のことながら花見時を捕らえるのに苦労する。

 今年は趣向を変え、山桜を見ようと六甲の金鳥山へ行ってきた。阪急芦屋川駅からロックガーデンを登り、岡本駅へ降りていくハイキングコースである。

 まず、部屋を出ると桜並木は満開で、その桜で花見はできるのだが、誰も弁当を広げていない。桜はあるが花見はできないのだ。

 阪急神戸線からの車窓風景も、武庫之荘、夙川、芦屋川と、ほぼ満開で、これは通勤中にも花見ができることになるが、それは桜の花を見ているだけで「花見」はやはり「花見の宴」をやらないと、それらしくない。

 町内の桜ではありがたみがないので、汗をかいて山に登り、そこで見つけた桜の下で宴を張ろと目論んだのだが、市街地では満開でも、山の上は開花が遅いようで、まだつぼみの状態だった。

 それで仕方なく、山の上から市街地の桜を遠目に見ながら弁当を広げ、酒盛りをする。さすがに山上で飲み過ぎると、足下が危なくなるので、酔って盛り上がることもなかった。

 下山するに従い、桜がチラホラ咲いており、日程を一週間程ずらせばよかったと思いながら、岡本駅にたどり着いた。何のことはない、ただのハイキングだったわけだ。

 花見が、季節という自然と触れ合う行為だと解釈すれば、山上の桜が咲いていなくても、自然の中を汗をかきながら歩いたことで、十分自然と触れあえたことになり、目的は達せられたのだ。

 桜を見る行為は「春が来た」ことを確認することかもしれない。その春は、季節としての春だけの意味ではなく、生きていく上での節目を確認する宴でもあるようだ。


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