川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その5 ツーリング HOME
伊丹から京都まで原付パイクで行ってきた。いつも電車で行く行程とは全く違う。電車なら一時間ほどだが、原付だと二時間近くかかる。見える風景も違う。
僕はその日、いつもの散歩の途中、喫茶店で一服していたのだが、あまりの天気のよさに、少し遠くへ行きたく思い、行き先も考えずに原付に乗った。
目的がないと、やはり走りにくいので、京都を目指したが、しんどくなればすぐに引き返すつもりだった。電車で行っても、京都までは結構遠いのである。原付ならさらに疲れるだろうと思ったのだが、意外とスムーズに着けたので驚いた。それは駅までの道を歩いたり、切符を買ったり、プラットホームで電車を待ったり、または何度も乗り換えたりとかがないのが一因になっている。
伊丹から京都までは国道171号線を走れば、黙っていても京都に向かう。近所を走っているときは、信号待ちでとまるのが億劫だが、長い時間走っている場合、信号待ちが休憩になる。
普通なら京都に用事があって出かけるため、できるだけ早く到着したいので、電車に乗るだろう。電車が嫌いな人なら原付ではなく、自動車や自動二輪に乗るはずだ。
僕は九州を原付で一周したことがあり、ガソリンスタンドさえあれば、十分長距離を走れることを知っている。
しかし、この忙しい時代、行程を楽しむような移動の仕方は、旅行や観光でないかぎりできない。
桂あたりから四条通に出て、河原町を一気に駆け抜け、八坂神社まで突っ切った。いつも電車から降りて歩いている歩道を道路上から見ていると、ちょっと爽快である。
この気分は、電車では味わえない。それは、庭先から延々とアナログ的に走ってきた過程が、体の中に書き込まれているためではないだろうか。