川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その7 ごはん      HOME

 ある日、急にご飯を炊いてみたいと思った。それは散歩中に水田を見たからだ。梅雨から秋にかけて、毎年見慣れた稲作風景なのだが、不思議とそれがご飯とは結びつかなかった。それはものすごく当たり前のことに対して、ピンとこないのに似ている。

 農地だった場所に住宅が建ち並び、田圃は年々減っているため、米作が行われていることに気づきにくくなったためだろう。

 僕が電気釜を買おうと決心したのは、米屋さんの前を通ったときだった。玄米のまま陳列されているのを見て、これを炊いて食べるのは、非常にシンプルではないかと感じたのだ。

 それに昔と違い、電気釜という文明の利器がある。炊き方はマニュアル化されており、水加減も火加減も勘に頼らなくてすむ。

 しかし、炊き立てのご飯を食べるには、電子レンジでチンするほど簡単ではない。米を洗わなくてはいけなし、炊きあがるまで、時間がかかる。この間合いがインスタント食品やコンビニの弁当に慣れた感覚では、呑気なことをしているような気分になるが、ご飯を炊くという、ものすごく基本的なことを実行しているのだという充実感はある。

 米は主食で、パン類は副食である。つまり日本人にとって食べ慣れたメインの食べ物が米なのだが、その米の飯をほぼ毎日食べていながら、意識することが少ないことに気づいたのだ。

 それは、ご飯よりも、オカズのことばかり考えており「今日は何を食べようかな」と考えるとき、ご飯ではなく、トンカツにしようか八宝菜にしようかと、意識がそちらへ行っているためだ。

 そして僕は先日ご飯だけを炊いて食べた。さすがにご飯だけでは食が進まなかったので、塩昆布を乗せて食べたが「基本を食べる」という行為は、やはり満足感がある。しっかりした行為を実行したような気分を味わえた。


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