川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その9 盗難      HOME

 原付を盗まれた。日常の足として乗っていたので、とたんに行動範囲が狭くなった。見つかるまでの繋ぎで、中古自転車を買いに行ったのだが、原付で走っているときに見つけた店だけに、ちょうどいい行き方がないので困った。自転車で行けない距離ではないが、それがないのだから手段としては問題外である。仕方なく徒歩で行くことにした。

 こんなとき自転車や原付のありがたみがわかる。徒歩の方が健康的なのだが、歩きたくないような道の場合、それなりにストレスとなる。また、自転車で行ける距離を超えると、原付のほうが疲れない。

 結局リサイクルショップまでは歩いて行き、自転車に乗って帰った。大げさだが空を飛ぶほどの軽快さだった。しばらく乗っていなかったので、自転車を見直した。人が通れるようなところはだいたい走れるので、原付よりも融通が利いた。

 ひと月後、原付が見つかったので、取りに来てくれと、交番から電話があった。ただし、変わり果てた姿になっているから覚悟してくれとかのニュアンスが含まれた連絡だった。

 再会した原付は廃車にしないといけないほど、損傷していた。まるで遺体を引き取るように、家まで引っ張って帰った。

 不思議なことに自転車に乗っていると、その移動方法に慣れてしまい、行動範囲も自転車的になっていた。もうあえて原付に乗る気がなくなっていたのだ。

 原付を買う前は、自転車に比べ、何十倍も快適な生活ができると思っていたのだが、このひと月で、なくても不便しないものになっていたのだ。

 あるものがなくなってしまうと見えてくる世界がある。必要だと思っていたものが、実はそうではないこともある。

 今は、原付で走って行った場所へも、自転車でハアハアいいながら走っている。心臓という自前のエンジンも捨てたものではない。


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