川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その10 引っ越し      HOME

 引っ越すことになった。環境が激変するわけではないし、日常が寸断されるわけでも、ライフスタイルが変わるわけでもないが、気持ちが落ち着かない。

 それで、荷造りを始めたのだが、もう使わなくなり、単なる物体と化した品々が多いので驚く。その一つ一つは理由があって買い求めた必需品だが、当時とは事情が違ってしまい、役に立たないものもある。

 たとえば使っていない家具や、スペックが古くなったパソコンや、辞めてしまった写真の暗室セットなどだ。着なくなった服や、鞄類まで計算に入れると、かなりの点数になる。

 その一つ一つの物体には物語がある。買った時のエピソードや、それを使った様々な思い出とかだ。しかし、新しいものに置き換えられたり、使う機会を失うと、思い出の品々になってしまう。

 それら全てを持ち出せば、新たな場所で永眠は可能だが、使わない物のために場所をとられるのも問題がある。

 物には思い出があり、それに触れることで「過去の意志」が蘇る。それに触れるのが怖い場合もあり、忌み嫌って封印している物さえある。だが、完全に捨て去ると、存在そのものが消滅してしまう。

 何が入っているのかさえ忘れたような鞄を開けてみると、カメラのパンフレットや領収証や、なくしたと思っていたペンなどが出てきた。当時この鞄をぶら下げ、出歩いていたのかと思うと、懐かしさがこみ上げてくる。

 使わなくなった物にはそれなりに事情があったわけで、気分的な事情も含まれており、当時の気分を伺うことが出来る。

 物は記憶を呼び起こしてくれる。「物」には価値はなくなったとしても「もの」としての情緒価値は生きていることがある。

 引っ越し、それはフォーマットし、全てを新しくスタートする機会なのだが、過去と対話する機会でもある。


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