川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その12 ライフライン      HOME

 引っ越しの時、ライフラインというものを意識した。暮らしの中でなくてはならない「生命線」である。  徒歩で数分の引っ越し先だったので、徐々に荷物を運んだ。そのため借り部屋が二つになった。荷物だけではなく自分自身引っ越さないといけないのだが、その見切りは電話の切り替えが大きかった。

 電話がない場所でも暮らせるのだが、世間と連絡を絶ってしまうことになる。通じないと消息が途絶えたような感じになるのだ。

 電気水道ガスなどは、生きていく上では最低限必要で、震災などでこの種のライフラインが切断され、不自由な思いをしたことは記憶に新しい。しかし電話は生命体としての人間にとって必ずしも必要なものではない。もっと文化的で世間的なものである。

 新しく借りた部屋へ行くと、ガスや電気のメーターに、使用申し込み手続きの書類がぶら下がっていたが、電話のそれはなかった。やはり電話の使用は、住み主の任意性に属しているのだろうか。電話がなくても生命が脅かされる危険はない。衣食住の「住」の中にオプションとして電話はある感じだ。

 生命体としての存在だけでは人は生きていけないが、病気になった時などは、普通に呼吸ができ、ご飯を食べ、排泄できることの有り難さを思い知らせてくれる。このレベルはライフラインと似ている。健康になると、電話をかけたり受けたりするレベル、つまり仕事や世間との交流などのレベルになる。

 というようなことを思ったのは、引っ越しの時、一人で荷物を何往復もして運び、その疲労で寝込んでしまい、一週間ほど「生命体」のレベルで暮らしていたためだ。

 ライフラインがしっかりしていないと、その上で過ごす社会生活も危ないものになりかねない。  精神的な意味でのライフラインもあり、それが壊れると、ライフスタイルも危なくなる。


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