川崎エッセイ 絵解き世間之事情 その17 東寺      HOME

 京都の東寺で曼陀羅絵の公開があったので、見に行ってきた。偶然その日、弘法さんの日らしく、境内はかなりの人出で賑わっていた。
 曼陀羅展よりも、活気あふれる出店の方に引っ張られた。古道具や骨董品が売られているのだが、その陳列を見ているだけでも楽しめる。少し古い家なら、探せば一つや二つ出てきそうな古美術品も並んでいる。きっちりとした店構えの店で見るのと比べ、冷やかし半分で気楽に鑑賞できるのが楽しい。
 曼陀羅絵も時代が新しいほど、絵柄も庶民的となり、親しみやすくなっている。古美術品も時代が古すぎると、繋がりが薄くなるのは気のせいだろうか。
 境内は歩けないほど人が多く、そのほとんどは中高年の人達。お年寄りも多い。観光客より、近所の人が普段着で来ている感じだ。植木市も立っていた。
 古着の他にお年寄り向けの婦人服や肌着なども売られており「東寺ブランド」と、思わず呼んでみたくなるほど、需要に応えている。
 そうした買い物をしても、ここは東寺の境内。弘法大師空海の縁日。精神世界との繋がりの中での買い物となる。このあたり、妙な安心感が沸く。
 お年寄りが楽しめる場所は、若い人ならさらに憩える場所だ。それはレトロとかの懐古趣味ではなく、この国が長い年月にわたり磨き上げた文化の片鱗に触れる醍醐味だろう。
 曼陀羅絵を見たあと、境内をもう一度一周する。その配置が曼陀羅を連想させる。
 僕らは多種多様な世界に棲み分けており、特定のジャンルや階層に属している。隣の人が何をしているのか分からないほど細分化、専門化された社会で暮らしていると、それらの壁を取り払い、一堂の元で過ごしたいと思うときがある。
 その意味で東寺の縁日は、人や文化の風通しが快かった。


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