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銀バエ対便所バエ
川崎ゆきお

漫金超2号 チャンネルゼロ 1980年より


 その人のパーソナリティーが、モロに出てしまうような服装は、ファッションではないと思う。また、それでは面白くもない。服装によってある程度まで、その人らしさというか、その人の性格というか、まあ、人間性、経済力……を読むことができる。しかしそれは表面的なデータであって、内容は別だ。内面と表面が同一であれば、それはファッションの面白さを無視したことになる。が、それもファッションの一手と考えられないこともない。要するに読めない服装というのが、最高のファッションだと考える。それは巧妙なトリックを使う知能犯であり、トリックが読めなければ完全犯罪となる。しかし完全犯罪では、反対にファッションとして面白くないのだ。天才的完全犯罪の名人は、何処かに手がかりを残して、探偵との対決を楽しむものなのだ。
 それで個人的に、自分の場合はどうだったのかということを話してみよう。自分はデザイン学校に行ったことがある。あれは確か藤圭子が「夢は夜開く」でデビューした年だった。漫画が始めて本に載ったのもこの年だった。ミニスカートからホットパンツへ移った年でもある。チャールズ・ブロンソンの映画が続けて上映され年であり、万国博が話題になったのもこの年だったと思うが、自分は行かなかったので記憶にない。その当時自分は下駄履きで登校していた。別に下駄が好きだったからではない。皮肉を言いたかったのだ。皮肉を。それはデザインにしろファッションにしろ、およそ自由な発想のように見える反面、恐ろしく何かを隠そうとしていた。例えば、作り手のことをクリエーターと言った。始め、何のことか分からなかった。クリがどうしたんやろと思った。しかしデザイナーともなると、ハイカラなセルフイメージを身につけていないと、やっていけないのだと自分自身に言い聞かせ、無理をしてハイカラごっこをした。しかし、二ヶ月もすると、プラスチックの下から、臭いものが匂いだした。それは路地のどぶ板の匂いだった。貧乏の匂いだった。彼ら教師が隠していたのものはこれだなと気が付いた。翌日、下駄を履いてロビーを歩いた。その下駄の音に教師達は、いやな顔をして注意した。教師の顔は日本人だった。烏賊の干したようなサンダルが良くて、下駄がなぜいけないのか。と、極クリエーターとしての感想を述べた。クリエーティブな発想である。という論点からの問いかけに、彼らは校則をもって自分の下駄を脱がそうとした。自分は下駄を脱いだ。翌日、高倉健が履くような雪駄で登校した。今度は音がしなくなった。しかしすぐに見付かった。草履も校則でいけないという。なぜですかと聞くと、品が悪いからだという。しかし昔は大名も履いていましたと言うと、教師は町内のオッサンのような顔になった。
 創作とは何かに手を加え、価値あるものに仕立てることだという。果たしてそうなのか。下着のシャツにマークを付けることに価値があるのか。結局、デザインにしろファッションにしろ実際問題として、あってもなくても同じではないのか。下手な作為をして意味を付けてみるのは自由だが、他人にどうこう言っても本質は変わりはせんのだ。見え透いたわざとらしい作為で飾ってみて安心できる人間が羨ましい限りだ。
 それから自分は完全にファンションに対してアレルギー体質になってしまった。今も、考えてみると、その辺にこだわっていた自分にも問題があったのだが、間違っていたとは思っていない。余談だが、そんな自分の意見を、真面目に聞いてくれる先生がいた。デザインの先生ではなく、造形史を教えてくれていた文系の人だった。
 自分は今でも、文字通りファッショナブなファッションはできない。オシャレをして気分を変えようとしても、色や柄に好みを上乗せする作為ができない。自分のファッションは、あくまでもトリックの面白さにしか走れないファッションなのだ。それはそれなりの面白さがあり、他人の服装を見ても、それなりに面白さを感じることができる。
 その面白さとは読みの面白さだ。探偵の面白さだ。美的感覚よりも、その人間の面目を何処まで読むかだ。
……と、ここまで書いて頭が痛くなった。熱も出て来た。ついに自分は風邪を引いたのだ。フッフッファッション!




 

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