小説 川崎サイト

 

就職活動

川崎ゆきお



 宮田は何となくそう思った。
 どちらの会社へ就職するかでの感想だ。何となくであり、感想であるため、明快な理由はない。つまりどちらでもかまわないのではないかと思ったのだ。
 その理由は両社比べて、これという決定打がないためだ。
 最終的に残った二社だが、就職できる保証はない。まだ、書類選考も通っていないのだ。
 できるだけ早く決めてもらいたいので、一度の書類選考と、一度の面接ですむ二社を残した。この二社が、その条件を満たしていたのだ。
 どちらに受かってもいい。また、どちらが落ちてもよい。
 宮田にも好みはある。だが、会社概略を見ているだけではわからない。どちらかというと、どちらが楽か程度の好みなのだ。
 その楽さ加減が目的なので、できれば、働かない方が楽なのだ。だが、その選択肢は許されない。
 と、言うより、ずっと許してしまったため、無職状態が今日まで続いたのだ。そのため食べるための現金が、もう底をついていた。
 また、社会的な意味合いもある。無職状態では家族や近所の目もうるさい。その目を黙らせるためにも、就職する必要がある。
 特に働きたくないと言う理由はない。だが、できれば働きたくない。しかし、働くことを拒否しているわけではない。他に何もしていないのだから、就職することで、好きなことができなくなることもない。
 給料を得るだけのためだけの就職活動だ。これは非常に明快な理由だ。特に考える必要はない。またオリジナリティーもいらない。つべこべ言わず働きに出ればいいのだ。
 それがどんな会社なのかは、誰も問わない。給料が出る会社なら、問題は何もない。
 宮田は特にやりたいことはないので、仕事内容が何であっても、これも問題はない。宮田にもできる仕事なら、それでよい。
 そして、二社に履歴書を送った。数年間無職であることが、おそらく不合格の理由になるはずだ。
 それでもいいから来てくれという方に決まるだろう。次の面接は形だけの顔合わせで終わることを希望した。
 こういう希望は、夢や希望を抱くの希望ではない。もって低次元の望みだ。積極的な何かではない。
 そして、そこで落ちても、それほど落胆しない。
 助かったと思うだろう。
 この根性が、宮田の底なるポリシーかもしれない。

   了



2009年7月25日

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