小説 川崎サイト

 

カレー講演

川崎ゆきお



「カレーのレトルトを買えばカレーは食べられる。ご飯が家にあるとしての話だが」
 講師の坂上が細かい話をやり出す。
「ではカレーを家で作ればどうだろうか。それにはカレー粉や、カレーのルーが家にあれば、それは買わないですむ。だが、これだけではカレーはできない。だが、これでも一応カレーだ。昨日何を食べましたかと聞かれたとき、カレーを食べましたと答えても嘘ではない。ただ、そんなカレーを食べたいと思うかどうかだ。カレーを食べたことを言いたいだけで、そんなカレーを食べるとは思えない」
 いつものようにくどくどしい。
「では、何が必要か。人参や玉葱や馬鈴薯がいるのではないか。そして忘れてはならないのは、タンパク質系だ。つまり肉系だ。これがないと寂しいと思うはずだ。野菜カレーはヘルシーでよい。だが、カレーを食べることが果たしてヘルシーだろうか」
 話が枝に入りだした。
「ビーフカレーが食べたければ、肉を買う必要がある。海老カレーが食べたければ海老を買う必要がある。別に竹輪を入れてもかまわない。好みの問題だ。もっとも、それは経済的な問題なのだが。だから、魚肉ソーセージの安いのでもよい。ただし、安いソーセージは魚の臭いがしない。本当に魚が入っているかどうかが、疑わしい。値段からすれば、さほどの量は入っておらぬだろ。だからこれは雰囲気だ。赤ければ、肉のように思うだろ」
 この講演のテーマは料理ではない。
「さて、だからこそレトルトカレーが理想だと思われる。それなりに野菜のかけらや肉のかけらも入っておる。いずれにしても、家で作ることを考えた場合の話だ。では、それを食堂で食べればどうだろうか。かなり割高だ。それでもなぜ外食するのかが、今回のターマだ」
 ターマではなく、テーマの間違いだ。どうやら外食の講演のようだ。
「つまり、作るのが面倒なのだ。だから、外食にする。では、その価格差は何かと言えば、手間の省略だ。しかし、それは出かける手間は無視される。つまり、外出先での外食に限られる。また、カレー屋がある町に出かけておることも条件かな。こういうのがそろうと、カレーを食べたいと思った場合、ついつい外食してしまう。レトルトにせよ、玉葱を切ることから始めるにせよ、すぐには食べられない」
 聴衆は早く結論が聞きたい。
「面倒くさい。邪魔くさい。これが市場になる。ここがマーケットなのだ」
 そんなことは、聴衆の誰もが知っていることで、珍しい話ではないし、新たなる知識でもない。
「いろいろ作るのは面倒だ。作業はしたくない。これは高度な欲求でもあり、文明の欲望だ」
 聴衆はその程度は知ってるよと、逆に優越感に浸る。講師坂上を見下すような姿勢になる。これが快い。誰もがそれで、自信を得た感じだ。難しい話をされるより、ましなのかもしれない。

   了

 


2009年7月26日

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