妖怪と精神
川崎ゆきお
妖怪研究家の宅へ精神科医が訪問した。妖怪研究家の病状を見に来たわけではない。
妖怪の発生と精神異常についての研究を精神科医が趣味でやっており、妖怪研究家に意見を聞きにきたのだ。
「妖怪の発生とは名付けることじゃ。言葉を与えることじゃ」
妖怪研究家が先に口を切る。
「そこに精神異常者の関与があると」
「見えるのでしょうな」
「妖怪がですか」
「妖怪というか、あらぬものを作り出す能力がある。見えるというのは、すでにあるものを見るわけじゃ。これは、見かけぬ植物を発見するような話ではない。探してもないものはない。妖怪もそうじゃ」
「異常な精神が妖怪を作り出すのですね。それは見えると言うことでしょ」
「同時かもしれん」
「どちらが先かは、興味深いですね」
「もし単に見えるのなら、それは自然現象で、他の人にも見える。その場合、妖怪の発生は自然に発生したことになる。だが、妖怪は植物のように自然には発生せん」
「幻覚でしょうね」
「そう、だから、見えてはおらぬのかもしれん。感じておるだけで、視覚的なものではない」
「なるほど」
「昔、頭のおかしな村人がおり、それが適当なことを言ったのだろう。本人にとっては適当ではなく、本気かもしれんがな」
「では精神的異乗者が妖怪を生み出す説はあり得るわけですね」
精神科医はそこを聞きたい。
「昔から、感性の鋭い人間がおる。これは紙一重でな。鋭すぎると、それはもう気が狂ったようなものじゃ」
「その狂気の正常の違いは、どんなものでしょう」
「それはあなたの専門でしょ」
「私は歯止めの問題だと思います。正常とは歯止めが利くことで、差はそれだけの違いかと」
「そうだな。歯止めをはずし、どこまでも想像を膨らませると、あり得ぬモンスターも出てくるかもしれぬ」
「そうです。それはいってしまってる世界なので、内省がないわけです。だから、本当にいるように思えてしまう」
「昔は、ちょっとおかしな人間は神に近いと言われておるからのう。だから、村人も認めたのかもしれん」
「え、何を認めたと」
「気の触れた村人が言っている妖怪をじゃ」
「はいはい」
「気の触れた人間も、昔はある意味で聖なる存在じゃった。この場合の聖とは自然に対する畏怖と同じようなものじゃ。良い悪いではない」
「やはり自然が絡んできますか」
「最近妖怪が発生せんのは、自然に対する畏怖が消えたからじゃ」
「なるほど」
二人は楽しく語り合った。それはある趣味について、語らう楽しさに近いものだったが。了
2009年8月3日