小説 川崎サイト

 

ドジョウが来た日

川崎ゆきお



 お盆の朝のことだ。
 森本は新聞を取りに玄関を開ける。郵便受けに新聞が入っている。チラシが新聞に引っかかり、すぐには抜けない。最近やたらとチラシが入っている。チラシを宅配する人間が何人もいるのだろう。しかし、その現場は滅多に見かけない。しかし確実に複数の人間が森本の家の玄関口に来ているのだ。
 そんなことを思いながら、足元を見ると、犬のクソがある。最近野良犬はいない。飼い犬の散歩なら、飼い主が確実に持ち帰っているはずだ。特に人の家の玄関口なら、なおさらだろう。
 蝿がたかっている。まだ蝿がいるのだ。どこから飛んできたのだろう。
 犬の糞は十センチほどの長さだ。
 汚い物なので、森本はそれ以上見ない。片づけないといけないことはわかっているが、新聞を読み、朝の日課を終えてからだ。
 お盆なので、仏壇に水だけを供える。特に行事はない。お寺さんも呼んでいない。
 翌日、まだ、犬のクソがある。まだ片づけていないのだ。
 新聞を取ったあと、箒でチリトリに寄せようとするが、クソは動かない。まだ乾燥していないのだ。
 森本は箒で何度もこする。
 それはクソではないようだ。
 何かの生き物だ。巨大なナメクジか、蛭ではないかと思った。
 だが、それが黒いことと、髭があり、頭があることがわかる。
 ドジョウだ。
 どうして、玄関先にドジョウがいるのだろう。ドジョウが棲むような川など近くにはない。
「帰ってきていたのかな」
 お盆からの連想だ。
 先祖の霊がドジョウになって帰ってきたのではない。帰ってきているよと、合図しているだけのことで、これは分かりやすい信号なのだ。
 半ば干からびたドジョウをチリトリに乗せ、庭に埋めた。ゴミのように捨てるわけにはいかない気持ちになったのだ。
 森本の家の玄関口は通りに面している。誰かが落としたのかもしれない。まだ、生きており、玄関口まで移動したのかもしれない。
 しかし、それがドジョウであり、しかもお盆の日であるだけに、この偶然性が神秘的で、意味ありげだ。

   了


2009年8月17日

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