小説 川崎サイト

 

ふつうの絵

川崎ゆきお



 ある貧乏画家の元へ、初心者が質問にきた。
 この時点で、この初心者は道を誤ったことになるが、近所の人なので気楽だった。
 つまり、出かけなくても徒歩距離で行ける画家だという程度の認識だ。
「絵を描く秘訣を教えてください」
 いきなり美味しい箇所を聞く。二人は初対面だ。
 貧乏画家はにんまり笑う。
 その笑顔の意味を初心者は理解できない。わかっているのは、相手の機嫌が悪くない程度だ。
「絵を描かないことだ」
「はあ」
 さすがに初心者は、この言葉の裏にあるものを探った。
「絵を描きたいのですが」
「だから、描かないことだ」
「でも、先生も画家でしょ。絵を描いておられるのでしょ」
「私は絵を描こうとして失敗した」
「それは……」
 その続きは、世間から認められなかったという意味だろう。さすがにそれは口にできない。
「絵を描こうとすると失敗する」
「はい、だから、うまく描けるコツを教えていただきたくて」
「あ、そう」
「どんな方法がいいでしょう」
「絵を描こうとすると、絵を描いてしまう」
「はあ?」
「だから、似たような絵になる」
「なかなか似せるのも大変です。そのレベルに達しません」
「そうか」
 貧乏画家はにんまりする。
「せめて、ふつうの絵をふつうに描けるようになりたいのです」
「ふつうとは?」
「よく見かけるふつうの絵ですよ」
「で、それが描けないと」
「難しいです」
「練習しても無理か」
「はい、無理です。だからコツを」
「そんな同じような絵が描けても仕方ないだろ」
「みんなそういう絵を描いています。僕もそういう絵を描いてみたいです。描けるようになりたいです」
「しかし、練習しても描けない」
「はい、そうです。練習方法が間違っているのかもしれません」
「絵を描こうとすることが、そもそも間違いだ」
「では、絵ではなく彫刻とか……」
「それも同じことになる」
「では、どうすればいいんでしょうか」
「絵を描かないように絵を描くのだ」
「結局描くんでしょ」
「絵のような絵を描かないことだ」
 初心者は室内の絵を見た。貧乏画家の描いたものだ。
 今まで見たことがない絵だ。正しく言えば、完成させてはいけない絵なのだ。本来なら描き直すべきだろう。だから完成度が低いため、この画家は貧乏なのだ。
「先生はうまく描かないようにしているのですね」
「していない」
「あ」
「なにが、あ、だ」
「いえ」
「絵のような絵を描かないようにすればよい」
「でも、僕は絵のような絵を描きたいのです」
「描けるのなら、それでいいがな」
 初心者は訪問先を間違えたことにやっと気づき、退散した。
 その後、その初心者がふつうの絵が描けるようになったかどうかは聞かない。

   了




2009年8月24日

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