真実
川崎ゆきお
「豊臣秀吉を知ってるかい」
「ああ、徳川家康も知ってるよ」
「家康はいい。今は秀吉の話だ。まあ、家康でもいいのだけどね」
「どういうことかな」
「それはどこで知った?」
「えっ、どっち?」
「秀吉」
「ドラマかな」
「本は」
「戦国時代の小説で、出てきていたかな。だから、小説の世界でも知ってるよ」
「じゃ、秀吉はどんな人かな」
「天下を取った人だよ」
「イメージ的には、どう」
「イメージ……か。そうだね、庶民ぽいね」
「でも、実際の秀吉は、どんな人だったのかはわからないだろ」
「ああ、誰かが描いた秀吉像を見ているってことかい」
「そうそう。だから、作品によって秀吉の印象が違ってくる。どれが秀吉なのか、混乱するよ」
「それは、違う秀吉を描こうと頑張るためだろ」
「誰が」
「作者がさ」
「でも、その作者も秀吉を知らないわけだ。本物は」
「何が言いたいの」
「どのドラマのイメージとも違う人だったのかもしれないと、ちょっと思ったんだ」
「暇だね」
「さらに考えていくとね、実物を知っていても、印象が違う人っていることに気づいたんだ」
「昔の人が記録した印象が違うってかい」
「昔の人?」
「実際の秀吉を見た人が、その印象を書き残しているいるはずだろ」
「でも、ドラマほどにはイメージは弱いと思う。それも同じことが言えると思うんだけど、それでも印象が違うと思うんだよ。五人の人が書き残したとしても、五人とも印象が違う」
「それで?」
「つまり、何が言いたいのかというと、見る人によって印象が違うってことさ」
「それ、ふつうでしょ」
「ふつう?」
「よくある話じゃないか。特に言うほどのことじゃないと思うけどね」
「いや、印象が違うどころか、正反対か別人のような……」
「それも、よくあるんじゃないかな」
「そうなのか」
「みんな、その時々の気分で見ているんだよ。見ている人も、日によって違った印象を言うこともあるんじゃない」
「ソフトだなあ」
「まあ、本人も、自分のことをわかっていないんだから、決まったイメージなんて存在しないよ」
「でも、定説はあるだろ」
「通説だよ。世間でそう思われているだけのことで、それもまた一応だよ」
「一応?」
「一応そういうことにしておこうという程度かな」
「真実はわからないんだ」
「だから、それが真実なんだ」了
2009年9月3日