小説 川崎サイト

 

夜中に刈る

川崎ゆきお



 夏休みというゲームがある。田舎のおばあちゃんの家へ遊びに行き、野山をうろうろする話だ。
 親の時田は子供にそれをやらせた。
 子供は半日でクリアーした。
 時田は横で、それを見ていた。
「なるほどなあ」
 と、感心する。
 その心情は複雑だ。時田が子供の頃、田舎のおばあちゃんの家へ行ったことがある。それと同じなのだ。
 その田舎は今もあるが、ゲームの中の田舎ほどにはのんびりしていない。
「バーチャルな世界にしか、もうこんな世界は残っていないのか」それが時田の感想だ。
 時田の子供は田植え体験や稲刈り体験をやっている。これはリアルだ。
 親さえやったことのない田植えを子供が体験している。これはちょっと複雑な思いだ。
 しかし時田は考える。子供がやった田植えや稲刈りはリアルだが、実際にはバーチャルなものではなかったかと。
 農家の子供が手伝いで田植えをするのではない。体験学習でやるのだ。それはもう農家とか親などと切り離された遊びのようなものではないか。
 時田は田んぼを知っている。田植えの風景も知っている。しかし、中に入ったことはない。水田の泥の中に足を突っ込んだことはない。だが、子供はそれを体験している。
 親が知らない感触を子供は知っている。
 田植えはもう終わり、稲穂が実る季節になっている。
 子供は去年稲刈り体験をしている。
 時田は百均で釜を買い、夜中田んぼに行った。そして、ざくっと稲を刈った。
 どうと言うことはない。
「こんなことが貴重な体験になるのか」
 時田は納得し、田んぼを出た。
 刈った稲はそのまま田んぼに放置した。
「別に体験する必要などない」
 それが時田の結論だ。

   了



2009年9月13日

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