小説 川崎サイト

 

小さな想像

川崎ゆきお



 ある時期見えていたものが、その後見えなくなる。それは現実の事柄ではなく、より幻想的なものだ。
 幻想の世界、想像の世界だ。
 吉岡はそのことが気になり、友人に話した。その友人はこういった微妙な話に乗る人間で、周囲にそんな人いるだけでもありがたい。ほぼ同年配だ。
「それは若い頃は感受性が高いし、生意気なので、想像の翼に力があるんだよ。年をとると、見えなくなるのは当然だな」と、友人はよくある回答例を出した。
「それは分かっているんだが、そのメカニズムが」
「で、何が見えなくなったって?」
「以前は幻想を抱けたんだけど、今はリアルに考えてしまい、抱けないんだ」
「どんな」
「それは恥ずかしいから言えないけど」
「君の話はいろいろ聞いてるから、どのネタかは分かるよ。そういえば語らなくなったネタがあるねえ。そのことを指しているの」
「まあ、そういうことだ」
「それは、君が具体的に動いて、やってみたからじゃないのかな。だから正体が見えた」
「ああ、なるほど」
「想像の段階だったものが、現実の段階になると、もう想像する楽しさも消えるさ」
「しかし、以前は楽しめたのになあ」
「想像をかい?」
「そうそう、やはり実行すると駄目になるんだなあ」
「いや、実行しなくても、消えていく想像もあるさ。もう興味を失ってね」
「昔は、そこにドアがあった場合……」
「ドアなら、いくらでもあるでしょ」
「たとえばだよ。ドアのようなものがあった場合、その向こうはどうなっているのか、何が起こるのだろうか……なんて、わくわくしたんだ」
「あ、そうだったんだ。その話は聞いてないけど」
「本当のドアじゃないよ。そういう世界の入り口のような」
「ああ、なるほどね。それで?」
「わくわくしないだなあ。最近は。それはいっぱいドアを開けてきたから、今度もまた、似たようなものだと想像するからかもしれないなあ」
「何だ。回答を既に得ているじゃないか。そういうことだよ」
「こういうのを落ち着くって、言うのかなあ」
「そうそう、感動は年々小さくなるものさ」
「ありがとう。何となくまとまったよ」
「じゃ、帰るよ」
 吉岡の友人が忽然と消えた。吉岡の想像の中の友人のためだ。

   了

 


2009年9月22日

小説 川崎サイト