小説 川崎サイト

 

生天狗

川崎ゆきお



 山奥だが、温泉街だ。交通の便は悪い。それでも観光客が来る。
 上山も観光客としてやってきた。観光客は歓迎される。宿屋も当然受け入れる。それで食っているのだから当然だ。客が来なくなれば閉めるしかない。
 一人客でも問題はない。いつも何部屋か開いているためだ。
 お茶を持ってきた女将に、上山は妙なことを聞いた。
「このあたりに因習はありませんか」
「因習ですか」
「昔から伝わっている村の行事でもいいです」
「このあたりにはないですよ。湯治場でしたからね。村じゃないです」
「じゃ、この近くの村で、そういうのありませんか」
「行事ならありますよ。何処の村でも、夏祭りとか。秋の祭りとかも」
「もっと土俗的なのはありませんか」
「土俗、ですか」
「妙な行事とか」
「湯治場祭りはありますがね」
「あるじゃないですか。ここにも」
「ですから、それは観光用の祭りですよ。桜祭りとか苺祭りとか紅葉祭とか」
「ああ、なるほど。でも古くからの湯治場なら、それにふさわしい行事があったでしょ」
「お爺さんに聞いてみます?」
「お願いします」
 宿屋の隠居さんが話しに来た。
「天狗祭りがありましてなあ。この湯治場、誰が言い出したのか子授かりに聞くとかでね。特にご婦人側のね」
 天狗と子授かりと聞いただけで、もう上山は意味を解した。
「木造三階建ての古い旅館がありましたでしょ」
「そこにご本尊が?」
「本尊なんか、おまへん」
「じゃ、天狗の……」
「人ですがな、天狗はんは」
「じゃ、生天狗」
「昔の話ですぞ。今じゃないですぞ」
「はい」
「人気がありましてなあ。ご婦人の湯治客で繁盛したもんですわ」
「それはどういうシステムで」
「男衆が天狗部屋に詰めておりますのや」
「はい」
「今はもうやってませんよ。天狗祭り。私が子供の頃、爺さんに聞いた話ですからなあ」
「それは、何か記録に残っていますか」
「ありまへん」
「お話、ありがとうございました」
「なんのなんの」

   了

 

 


2009年9月23日

小説 川崎サイト