小説 川崎サイト

 

水飲み猫

川崎ゆきお



 プロデューサー業から引退した谷垣は、最近人の気配が少なくなったことに気づき、今や確信となった。
 寄ってくる人がいなくなったのだ。今まで頻繁に来ていた関係者が真っ先に来なくなり、友人知人も顔を出さない。
 谷垣から行くこともあるが、もう業界の人間ではなくなっているため、役に立たないのだろう。
 まだ業界から去る年齢ではないが、年々仕事量も減り、自分の時代ではなくなっていた。それでも古くからの人脈もあり、顔が利くので、よく引き合わせたりした。
 しかし、世代交代を何度も経るうちに、谷垣の人脈も古くさくなり、もう枯れている枝も多数出ていた。
 パーティーに呼ばれることはそれほど減らなかったが、そこに来ている長老を見ているうちに、自分もその種の枯れ枝と同じ種類になっていることに気づいた。
「人の気配がない」
 谷垣は猫に話しかけた。
「まあ、それも静かでよいか」
 猫は知らぬ顔をしている。餌のことしか考えていないようだ。
 谷垣は有名なプロデューサーだが、世間から知られていない。裏方に徹していたからだ。しかし、映画のエンディングを見れば、その名は出てくる。ああ、あの人が作った映画なのかと、知る人は知っている。しかし一般の人でそこまで掘り下げて知っている人は希だ。別に掘り下げなくても、名前は常に出ているのだ。
 業界にいた頃は、その関係者ばかりと会っていた。そのため、いろいろな人の、そのいろいろとは、業界の人だけのことで、素に戻ると人の気配がない。
 つまり、その気配とは、業界の気配なのだ。
「しかしなあ、タマ、誰かがまだ接触してくるものと思っていたよ。あれほど親しかった高橋も大磯も電話一つよこさない。どう思うタマ」
 猫が答えるはずがない。
 谷垣は長老と言うほどの地位ではなく、また言うほどの年寄りでもない。だから、まだエネルギーが残っているのだろう。
「引き際が早かったのかもしれんなあ」
 猫は急に起き上がり、忙しげに歩き出した。小走りだ。
「そんなに急ぐような用事が君にはあるのかい」
 猫は部屋の片隅で水を飲んでいる。
「それだけのことか」

   了


2009年9月28日

小説 川崎サイト