小説 川崎サイト

 

雨幽霊

川崎ゆきお



「今日は雨ですなあ」
 住野はいつもそんなことを言っている。しかし、誰かに声を出して言っているのではなく、自分に対して言っているのだ。当然声を出しては言わない。
 誰か横にいれば、その言葉を発生させる。しかし、今日の散歩道には挨拶できる人がいない。雨なので散歩に出ていないのだ。
「あまゆうれい」
 今度は呟く。喉を振るわすと五倍ほどエネルギーがかかる。小声なので五倍程度ですむ。
「雨幽霊」
 今度は声を使わない。しかし唇だけは腹話術の失敗のように動いている。
「雨幽霊とは尼幽霊、海女幽霊と親戚で、女の幽霊。決して男ではない。尼とは尼僧だが、このアマがと、女性を乱暴に呼び捨てるときにも使う」
 これは頭の中で言語化しただけで、今回は唇は動いていない。
「雨が降ってりゃ雨幽霊が出るとは限らない。一度見てみたいものだが、そりゃ無理だ。なぜなら、わしのデタラメ事なので」
 住野はビニール傘を差している。透明なのが気にいっている。しかし、ちょっとだけフィルターがかかったように町並みが見える。簡易カプセルのようなもので、その中に入っている安心感が多少ある。
「雨幽霊も、こういう透明傘のようなものではないか」
 住野は勝手に雨幽霊と言ってるだけで、雨が降っていたので、雨と幽霊を合わせただけのことだ。昔の和綴じ本に登場しているかもしれないが、どういう姿形なのかは知らない。
「出てくるまでは分かるまい」
 つまり、出れば、それが初めて見る雨幽霊だ。きっとそれらしい女性が現れるのだろう。
「雨幽霊と雨女は違う」
 当然だろう。雨男もいるからだ。それ以前に、この場合は妖怪や幽霊ではない。
 歩道脇の低い植え込みの上にビニール傘が乗っかっている。昨日はなかったので、今日の出来事だろう。
「雨幽霊の痕跡か」
 ビニール傘は骨が折れており、さびがかなりいっていた。
 風はさほどない。風であおられ折れたものではなさそうだ。それ以前に骨折していたものと思われる。
 住野は、この現象の中に、雨幽霊をねじ込もうとしたが、ビニール傘には入らないようだった。
「どだい無茶な話だ」
 今度は声を出して言う。少し声高に。

   了


2009年9月30日

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