ケータイと小説
川崎ゆきお
「君は夏目漱石の小説を読んだことがあるかね」
「坊ちゃんを文庫本で読んだ記憶があります。感想文を書けという宿題で」
「それは時代劇かね」
「えっ、カンが悪いもので、意味が……」
「坊ちゃんは時代劇かね」
「袴をはいてましたから、ある意味時代劇風です」
「じゃ、君の時代劇の定義は?」
「やっぱり、チャンバラものでしょう」
「江戸時代の話か」
「はい、それより前は歴史物かと」
「まあ、それはいい」
「それで、今日のお話は?」
「少し前の現代小説だがね。明治や大正じゃないよ、つい最近だが、問題はケータイなんだな。ケータイが出てくるかどうかで、ずいぶん違う。ケータイ電話で、なぜ連絡しないのかと思う。答えは簡単だよ。その頃まだケータイが普及していなかったんだ。またはないからだ」
「それが何か?」
「何かじゃない。ここに断層があるように思わないかね」
「そうですねえ。いつ頃書かれたのか分かりますねえ」
「それを今読むと、昔の話のように思えてね。まあ、時代劇だとは言わないが」
「でも、最近の小説でも、ケータイなしで書いている人もいるでしょ」
「まあ、少し前の年代設定にすればね。しかし、それでは現代小説ではなく、近代小説だ」
「そんなこと考えながら読んでいる人、いないと思いますが」
「僕は気になるよ。ケータイ以前と以降が」
「でも、ケータイが普及してからの、ケータイを使う小説でも、結構古くさい話ありますよ」
「そうかね」
「ある町の駅前が、以前のままだったりして」
「そうか、ケータイだけじゃないか」
「時代はめまぐるしく移っていますから」
「と、言うことは、新刊もすぐに古本か」
「それより、ケータイの話だが、最近はそのケータイで小説を読む時代なんだよね」
「先生、そんな話はいいですから。早く書き上げてくださいよ」
「ああ、分かってる」了
2009年10月7日