小説 川崎サイト

 

日常パターン

川崎ゆきお



 いつの間にか決まっしまった日常パターンに対し、吉田は考えてしまった。こういうときは、困ったことだろう。考えるとは、困った時と対になることが多い。
「困っているのだろうか」
 吉田は自問する。この自問も考える行為だ。
「いや、考えるようなことじゃない。なぜなら、それほど困っていないからだ。また、困ることではない。不都合が出ているわけではないからだ」
 というような流れで吉田は自問自答している。
「これを、考えているということだろうか」
 毎日同じようなパターンで暮らしていることに、考えてしまっているはずなのに、今の吉田は、何故そんな考えが生まれたのかを考えているのだ。
「考えすぎだろう。なるようにしてなった日常パターンだ。それは自然なものだ」
 しかし、果たしてそうだろうかと吉田は考える。この場合、考えると言うより、単に思っていると思ってもよい。
「努力が足りないのではないか」
 考えることに対しての努力ではなく、日常パターンの各要素についてだ。
「もっと、仕事量を増やした方が好ましいのではないか。スーパーで食材を買うより、近くのコンビニで弁当を買えばいい。作る時間も後かたづけの時間も短縮できる。それでできた時間を仕事に振り分ければよい。そうすべきなのだ」
 今の日常パターンにどこか問題があるとすれば、ここだろう。と、吉田はようやくたどり着いた。
「それに買い物はバイクで行けばいい。何も歩いて行くとはないのだ」
 しかし……と、すぐに自問する。そんなに時間を切り詰めてまでやるほどの仕事量はない。余っているほどだ。だから、時間に余裕があるため、ゆるりとした日常パターンになっているのだ。
「自分には強い意志がないのだ」
 次は、そんなことを言い出す。
「仕事量を増やす努力が足りないのだ」
 しかし、それは自分の意志の問題とは関係がないかもしれない。日常パターンを越えた、もっと人生規模での話になる。
「そうだ。人生をもう一度考えるべきなんだ」
 吉田は、そう結論づけたが、その日常は相変わらずで、何一つ変化はなかった。
 次にまた、こういうことを考えるのは数ヶ月後だろう。それもまた日常パターンの内の一つだ。

   了



2009年10月19日

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