小説 川崎サイト

 

神秘について

川崎ゆきお



「人が神秘を作る場合もあります」
 神秘研究かが言う。
「たとえば」
 聞き手は彼に先をしゃべらせる。泳がせるわけだ。
「建物がそうじゃな」
 聞き手は、いろいろ想像する。確かに当てはまるものがある。
「神社とかですね」
 聞き手が言う。
「ご名答」
「当たりましたか」
「簡単な例だが、分かりやすい。つまり、神社も寺もそうじゃが、人が作った結界だ。この場合結界という意味は広い。簡単な例では入ってはいけない場所を作ること。ある程度修行した高僧とか、限られた人しか入れない場所だな。これで、ぐっと奥行きが出る。簡単なトリックだ。だから、簡単に神秘は作られる。人の手によってな」
「それは象徴でしょうか」
「象徴、何の」
「聖なる場所とか、大切な場所であることを形にするために」
「ああ、そういう意味での象徴か。神秘の象徴であっても、実際の神秘事がそこにあるとか限らない。何かがあっての象徴だけで、象徴だけがある場合もある。この場合、中身のない象徴だな」
「では、本当の神秘とは何でしょう」
「隠すことだな。わからないと言うことだ」
「では、わかってしまうと神秘ではなくなると」
「そうだな。知らないうちが花だ」
「その場合のわかるとは、どのレベルでしょうか」
「常識的な説明では説明できない現象だ」
「非科学的な、ということですね」
「科学が進歩する前は、その意味で神秘が多かった。説明できないことが多かった」
「じゃ、どうして了解していたのでしょうか」
「神仏が本当にいると信じていた時代があった。だから、そこへ持ち込めば了解できる」
「それは便利ですねえ」
「しかし、現代人はその便利さの恩恵を捨てた。人がそれを捨てたわけじゃないよ。生まれたての赤ん坊には科学的知識はない。その意味で後付けだ」
「神仏を信じない人間が生まれるわけではないのですね」
「逆に神仏さえ知らないだろう」
「科学の世界にも神秘があるようですよ」
「科学とはプロセスで、アタックの仕方だ。流儀だよ」
「でも、どんどん科学が神秘を少なくしていきますよね」
「いや、逆に科学が神秘を作り出しておる時代だ」
「いずれも解釈の問題なのですねえ」
「そう、どうとでもいえる。これこそまさに神秘じゃないか」
 聞き手は了解しなかったが、一応頷いた。

   了



2009年11月12日

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