小説 川崎サイト

 

最短の犯人当て

川崎ゆきお



 まだこんなぼろアパートが残っているのかと思うような建物だ。窓枠が歪み、平行を保っていないのもある。板の雨戸も破れ、ガラス窓が見える。
 まともに使える窓が幾部屋あるのかわからない。もう窓は壁の一部になっているのだろう。
 弁護士は観音開きのガラス戸を開け、アパートの玄関に入る。げた箱が並んでいるが、靴が無造作に土間に散乱している。
 その中に下駄を発見した。
 弁護士が訪ねる男の履き物だ。
 薄暗い廊下が洞窟のように延びている。非常口とかの表示はない。もうアパートとして機能していないのだろう。ただの民家かもしれない。
 廊下の左右には夥しい数のドアがある。壁よりドア面積の方が多いような気がする。どのドアも便所のドアや物入れのドアのようにも見える。
 弁護士は教えられたとおり、奥から二つ目の右側のドアの前に立つ。
 蒲鉾板に(花田探偵事務所)と、書かれている。小学生の習字のような書体だ。
 ノックすると「はい」と、レスポンスが早い。中にいる探偵に弁護士が時間を知らせていたためだ。
「どうぞ」
 弁護士が案じていたようにドアが開かない。ぐっと力を入れてドアノブを引くと、がさっと落下音。ポタリ、バサリと、連続して何かが落ちる音だ。
「押してください」
 弁護士がドアを押すと、内側にドアが開いたが、落下物のため、三分の一ほどしか開かない。無理すれば入れる。
 案じていたことだが、ドアが妙な角度になった。
「立てかけておいてください」
 ドアははずれていた。
 三畳の間の真ん中にホームゴタツがあり、探偵は頭だけ持ち上げて出迎えた。
「席を作っておきましたので、どうぞ」
 確かにホームゴタツの前にわずかな隙間がある。座布団らしい何かの布が敷かれていた。
 弁護士は生活保護の世話にきたわけではない。
「で、ご依頼とは?」
「できますか?」
「はい、なんなりと」
「場所を改めましょうか」
「いえ、交通費がないので、ここでお願いします。動けないときは僕は安楽椅子探偵になります。わかります。別に身体が不自由なわけじゃないですよ。依頼者の話を聞くだけで、犯人を言い当てることができるのです」
「あ、そう」
 弁護士は事件の依頼を話しかけた。
「わかりました」
 弁護士はまだ何も喋っていなかった。
「犯人はあなただ」
 花田探偵は首だけ持ち上げて言い切った。寝ていうのか、起きているのかわからない姿勢だ。
「ど、どうして……」
 弁護士は虚を突かれた。
「だって、こんなところに住む探偵に事件を依頼するのはおかしいですよ。あなた、何か企んでいるでしょ」
 弁護士は立ち上がろうとしたとき、ホームゴタツに膝を引っかけた。
 ガツンと天板が傾き、乗っていた雑多な物体が雪崩のように弁護士を襲った。コタツの足がはずれたのだ。その中に食べ残しのラーメンの汁も入っていた。
「き、汚いじゃないか」
 弁護士はドアを開けようとしたが、蝶番がはずれているため、戸板に乗ったような状態で泳いだ。
「しまった」と探偵は、部屋を出ていく弁護士を見ながら呟いた。
 だまされたふりをして、事件の依頼を受け、調査料をもらうべきだったのだ。

   了


2009年12月12日

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