小説 川崎サイト

 

顔で演技する

川崎ゆきお




 大女優が牛鍋屋の個室で遅い夕食を食べている。マネージャーはぼんやりとした青年だ。そんなぼんやりではマネージャーは務まらないのではないと事務所は心配したが、大女優のたっての頼みで、つくことになった。
 大女優は銀幕のアイドルだった。かなり昔の話で映画の全盛期だ。
 マネージャーは映画監督志望だが、とうにその道から逸れていた。しかし、大女優につくことで、映画の話が聞けるので、まんざらではない。
 今日も映画の撮影後、夕食につきあわされている。
「顔で演技しちゃあだめだと言われたからああなったのよ」
 大女優は沈んでいた。
「煮えすぎると肉が堅くなりますよ」
「はいはい、食べてますよ」
「でも、そんなこと言われるの珍しいですねえ」
「監督のほうがうんと年上でしょ」
「私は演技なんて下手だから、監督のおっしゃる通りしているだけ。演技派じゃないし」
「でも、屈指の演技派ですよ」
「だから、演技しちゃだめって、言われたのかもしれないわね」
「きっとそうですよ。テクニックで持っていくのをいやがったんでしょうね」
「でも、最悪だったわ。明日撮り直しよね」
「ですね」
 顔で演技をするなと言われた大女優は、ではどうすればいいのか悩んだ。
 すると監督が、その役柄になりきれば、自然と感情が顔にでるから、もっと感情移入してやってくれと指導した。
 怒りを露わに小言を言うシーンだった。
 しかし、結果は最悪だった。
 なぜなら、大女優は笑いながら小言を言いだしたからだ。
「私、怒ると笑うのよね」
「そうですね。僕を叱るときも笑ってますよね」
「きっと役になりきれないのよ。自分が出てしまうの。だから、演技するんじゃない」
「僕の親友でテレビドラマの演出やってる人が言ってましたよ。リアルにやると別物になるから、リアルそうに演技しろって」
「それよ、それをやったのに、お気に召さなかったようだわ」
「じゃ、おもっきり外した演技をすればどうですか。どれかが当たりますよ」
「でも私、正統派だから、外すのできないの」
「じゃ、現場入りしたとき、真剣な顔でずっと役作りをして、なりきっているふりをすることですよ。真剣に取り組んでいるように見られた勝ちです」
「やってみるわ」
 翌日、撮り直しはうまくいった。一番最初にやった顔だけの演技と大差なかった。

   了


2009年12月18日

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