小説 川崎サイト

 

負けの美学

川崎ゆきお




「負け方の美しさですか?」
「美しく負けると言うことです」
 老いた俳優が語る。
「それは、人の生き方に関わることですね」
「そうです。役者としての道じゃありません」
 老俳優はそれほど主役をとっていない。ほとんどが脇役だ。しかし、主演を取れる力はある。運が良ければ大スターになっていただろう。
「自分の役者人生と重ね合わせて考えられたのですね」
「まあ、そうかもしれません。役者としてもっと大物になっていれば、そんな発想はなかったかも」
「それは、振り返って、自分を納得させるためでしょうか」
「それもあります」
「滅びの美学ですか」
「いえ、別に負けるために人生を送っているわけじゃないです。ただ、様々なシーンで勝ち続けることは難しい。負けると言えば聞こえは悪いですが、意にそぐわない。意に反することはいくらでも起きるでしょ」
「当然ですよね」
「だったら、負けても見苦しくしない。それだけのことですよ」
「負け方がうまいと?」
「これは気持ちの問題なんです。自分の中での問題なんです。勝ち負けを感じるのも自分の中での現象でしょ」
「そうですね。負けても、こんな勝負に参加できただけでも大満足って人もいるでしょうね」
「そう、いるでしょ」
「二位になって泣く人、笑う人。確かにいますね」
「できれば、笑う人がいいでしょ」
「でも、悔しいんじゃないですか」
「そう思わないように先回りするのですよ。どうやって負けてやろうかとね」
「景気の悪い話ですねえ」
「景気や覇気とは関係なく、自分の中での問題ですよ。勝ってしまうこともあるでしょ。しかし、勝ちにはこだわらない。負けにこだわるわけです」
「それは非常に丁寧な安全装置のように思います」
「最初はそうだった。でも最近はすがすがしく負ける方がストレスがない。負けを意識するのは、負けたときの気持ちの整理の為じゃなくなった」
「その発想の原点は何でしょうか?」
「私は若い頃から、何でもできる人間のふりをしていたのです。頼まれれば引き受けました。それが嫌なことでもね。期待に応えたかった。でも現実は不可能です。どこかでしくじる。そして自分を責めた」
「はい」
「うまくやろうとするからだめなんだと気づきました。失敗を受け入れたのです」
「負けて元々って言いますよね」
「それじゃ芸がない。だから、美しく負けようと思ったわけです。これは自分の中でのお芝居ですよ」
「でも、負けてもかまわないと言うのはいいですねえ」
「だから、負けることを目的としているんじゃないですよ。負けたときの処理の問題ですよ」
「どうせ勝てないのなら、負け方を工夫しようと言う感じですね」
「決して、負けるが勝ちじゃないですよ」
「負けるは負けるですね」
「負けた後の呼吸の問題です」
「その境地にはなかなか至りませんが、参考になりました」

   了



2009年12月20日

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