住職は心霊写真のお祓いを受け付けている。
依頼者は写真やフィルムと一緒に料金を郵送してくる。そういう写真の捨て場のようなものだ。
住職はまだ若い。心霊写真の鑑定家ではないし、写真やカメラに詳しいわけでもない。
ある日、近所の女子中学生が遊園地で写した写真の中に、知らない人が小さく写っていた。背景の木の葉が顔のように見えるのだ。中学生や親が気味悪がり、お寺に持ち込んだ。
それがきっかけとなったのか、そういうことを全国規模でやれないものかと考えた。
一応寺の住職であり、悪い立場ではない。
特に専門知識は必要ではない。届いた写真を前にお経を唱えて燃やせば済むことだった。
フィルムカメラからデジカメ時代になっていたが、データーでは受け付けなかった。
心霊写真は週に数枚届く。結構な収入になる。
届いた写真は一応は目を通す。霊がいる箇所や、おかしな箇所は手紙にも書かれているが、最近では簡単に分かるようになった。
その中に、全く分からないものがあった。手紙にも書かれていないので、どこに霊がいるのかが分からない。
どうせ、ここは心霊写真の捨て場なのだから、見つけられなくてもかまわないのだ。
それでも気になった。
住職は意地になった。今まで見てきた経験が活かされない。それが悔しかった。
しかし、それらしいものが写っていない写真もある。手紙には帽子をかぶった中年男がいると書かれてあるが、いくら見てもいなかった。送ってきた本人だけが見えるケースもあるのだ。
それと同じパターンだと思うのだが、なぜか気になる。
その写真は公園の花壇を背景に、小さな子供が写っていた。まさかその幼女が霊ではあるまい。そうだとすれば、怖すぎる。
幼女が笑っている。あどけない笑顔だ。それが……と考えたとき、住職は背筋が寒くなった。
気になるので、送り主に手紙を出した。
数日後、返事が届いた。
それによると、背景の花壇にホームレスが寝転んでいるのに気付かずに娘を写したらしい。
そのホームレスが写真に写っていないので気持ちが悪くなり、処分を頼んだようだ。
了
2006年05月29日
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