小説 川崎サイト

 

貧乏落とし

川崎ゆきお




 神社の裏側に、人が滅多に立ち入らない茂みがある。何かの祠だったのだろうか、今は廃材のように倒れている。
 自然に崩れたのかもしれない。数年前大きな地震があったので、その当時の被災物だろう。そのまま放置されているのは、もう用がない木の箱のようなものに成り下がったためだろうか。
 その近くに石組がある。これも何かの建物の礎石だろう。四角い石が四角い形で並んでいる。この上に柱が乗っていたのだろう。
 参拝客もここまでは来ない。ちょうど本殿の裏側なのだが、やや距離がある。茂みが遮り、もう小道もない。突き当たりは神社の土塀だ。
 そのあたりの石を持ち上げると、貧乏神がうじゃうじゃいる。
 横にいる丸虫のほどの大きさだ。胴体は糸ミミズよりは太い。
 貧乏神は蓑虫ように落ち葉を着ている。一枚もののようで着物に近い。
 子供の小指ほどの身体だ。これは人間には見えない。財布の中に隠れていたりする。
 この神社は大黒様なので、金銭に対する御利益を願ってくる人が多いのだろう。
 大黒様は福の神で、願い事をよく聞いてくれるのか、貧乏を落とすのがうまいようだ。その証拠に、本殿の裏には無数の貧乏神が石の下にいる。
 いずれも落とされたのだ。
 その仕掛けはよくわからない。お金儲けができますように……などと願った人から、その場で貧乏神が自発的に出ていくのだろうか。
 福の神の前に出た貧乏神が逃げ出すとも考えられる。
 しかし、貧乏神は人間の大金持ちを見ても逃げ出さない。これは人と神の違いがあるので問題はないのだろう。むしろ、大金持ちにとりついてやろうと思う貧乏神もいるのだから、決して苦手な相手ではないのだ。
 しかし、福の神は別だ。それは同じジャンルで、「福」を選んだのか「貧」を選んだかの差がある。もっとも、生まれたばかりの神が福の神として成長するか、貧乏神の道を選ぶのか、その自由はないようだ。
 また、同じジャンルだといっても、出目が違う。発生のメカニズムも違うだろう。
 ここにいる無数の貧乏神はいずれも年寄りだ。若い貧乏神はいない。その意味で最初から貧乏神は年寄りなのだ。
 ただ、貧乏神にも種族があるようで、柴犬か秋田犬か程度の差はある。だから、貧乏神は老けているとは限らない。
 この神社は貧乏落としの神社として知られている。それだけに、下手をすると、それほど貧乏ではない人間がお参りに来るのは危険なのだ。
 なぜなら、これだけ落とされた貧乏神がうじゃうじゃいるのだから、ここで接触する機会も多いためだ。
 ちなみに、貧乏神が落ちても裕福になるわけではない。普通の貧乏程度には回復する程度だ。それだけでも十分だろう。

   了


2010年1月5日

小説 川崎サイト