小説 川崎サイト

 

空気が抜けた

川崎ゆきお




 山田は長く自転車に無頓着で、長い間空気を入れていない。空気入れはあるのだが、物置につっこんだままだ。
 そのためペダルが重くなってきた。
 無頓着な山田も、それが空気を入れていないので、タイヤが弾まなくなり、スピードが出なくなっていること程度は理解している。だから、決して無頓着ではないのだ。頓着しないだけだ。
 頓着のなさとはこだわらないことで、変に執着しないことだ。
 ただ山田の場合、ただの不精だろう。空気を入れることを怠けているのだ。
 しかし、空気圧が下がることでクッションがよくなる。
 山田は歩道を走るので、結構デコボコが多いため、ガツンガツンでもコツンコツンでも、頭に響くのが嫌なのだ。タイヤの空気が少ないと、まろやかに反応してくれる。だから、決して嫌ではないのだ。
 そのかわりスピードがでない。ペダルがやや重くなる。
「あちら立てればこちら立たずか」
 山田はここで世の中の真理を見る思いがした。それほど大したことではない。何十年も熟考し体験して得た真理ではない。軽い真理だ。
 だから、それは真理ではないのかもしれない。両立することもあるので、すべてに当てはまる答えではない。
 自転車の常識では空気は入れるべきだ。それ以外は整備不良だ。メンテナンス不足だ。
 しかし、山田の真理はそこにはない。クッションがよくなるのだから、そういう乗り方もあるはずだ。
 砂地を走るバイクは空気圧を下げ、接地面を広げるはずだし、振動を少しでも減らしたい場合、空気圧を減らすこともあるはずだ。
 山田は自分の不精を、そういうところに持っていこうとする。
 世の中には特殊な用途があるのだ。
 と、いうことは山田の自転車の乗り方は特殊用途だろうか。
 それは山田にとっての自転車とは何か……になる。どういう目的で乗っているかだ。
 それを考えると、大した目的などない。暇なので、自転車でうろうろしているだけなのだ。
 そうなると、自転車の乗り方ではなく、山田自身の問題になる。
 そして、具体的には山田の生活に問題があるのだろう。
「あちらも立たず、こちらも立たずか」
 しかし、空気の抜けた自転車で走る山田の気分は悪くはない。
 そして、そのことが問題だとは気づかない。

   了

 


2010年1月7日

小説 川崎サイト