歪んだ世界
川崎ゆきお
「誰もが自分の世界を持っているというのはどうでしょう」
「世界って、世界地図のあの世界かい」
「目に映っているもの、感じているものと言うことです」
「それは、主観的ってことだよね」
「はい、それを忘れているんじゃないかと」
「それは、逆じゃないのかね。自分の目で見たり聞いたりより、情報で知ることが多いだろ。逆に自分がないような」
「客観的な情報も、それを主観的に取り込んでいるはずです。そのことを忘れて、誰もがそうだと思っているんじゃないかと」
「ややこしい話だなあ」
「はい」
「主観的客観ということかね」
「そうです。すべてが主観なんですよ。それを忘れていると言いたいわけです」
「それが何か問題でもあるの」
「齟齬が起こるのはそこなんです」
「つまり、イメージの食い違いかね」
「想像しているものと違うからです。感じているものと言ってもいいでしょ。つまり、それが世界観なんです。その場合、その人だけの世界観なんです。だから、一人一人に世界があるんです」
「それは、世界は外ではなく内にあるということだね」
「その内は各々いびつな感じとなっているのです。だから、噛み合わないことが生じるのです」
「そういうことをわかった上で、行動しているのじゃないの」
「わからない人の方が多いと思いますよ。自分の感じている世界が唯一の世界だと思いこんで」
「だが、世界は一つだろ」
「はい、外の世界は一つだと思います。それは思っているだけで、誰にも確認できないのですよ」
「君は、どういうことで、そんなことを言いだしたのかな」
「ふと思ったのですよ。単純に」
「ほう、単純にね」
「同じものを見ていても、同じように見えているのかとか、まあ、ほぼ同じに見えていたとしても、その解釈や感じ方や意味合いはまちまちじゃないかと」
「介護の必要なお年寄りと言う場合と、村の長老と呼ぶかの違いのようなものだね。同じ老人に対しても、扱いが違う。解釈が違う。とらえ方が違う。違うカテゴリーに入れてしまうってことだね」
「はい、そうです。そのことです」
「それは社会が変われば、とらえ方も違うだけで、社会は何らかの同意で変化する。これは、自分の中の世界が変化するのではなく、自分の外の世界が変化するのだよ。ただ、自分とは関係のない事柄は世の中に存在していても、影が薄いけどね」
「そこですよ。その外の世界を自分が適当に編集して作り替えてしまうのですよ。勝手な編集をしたくせに、それを外の世界だと思いこんでいる」
「だから?」
「だから、僕も含めて、みんな歪んだ世界を持っているのです。それを忘れているのではないかと」
「まあ、そういう意見もあるだろうけど、妙な人が、妙なこと言っている程度にしか、みなさん思わないだろうね」
「あ、はい」了
2010年1月11日