小説 川崎サイト

 

さまよい散歩

川崎ゆきお




 作田は久しぶりに散歩に出かけた。こういう時はあまりいい状態ではない。作田にとり、散歩とはさまようことだ。
 精神的なさまよいと散歩のさまよいと相性がいいのだろう。
 駅前から旧市街へ入る。江戸時代からあったような建物が残っている。
 そのはずだったが、ほとんど消えていた。
 作田がそこを訪れるのは数十年ぶりだったため、町の変化を知らなかった。特に好きな場所ではないが、他とは違う落ち着きがあり、それを期待していた。
 しかし、数十年も来ていないのだから、特に気に入った場所ではないのだろう。
 数十年前に訪ねたときも、今と同じような精神状態だった。つまり、さまよっている状態だ。
 だから、その日の作田は散歩者ではない。ただ、見た感じは散歩者の風貌だ。山歩きでもできそうな服装をしている。これは一種のカムフラージュで、趣味人が古い町並みを見学している姿を連想してもらいたいが為だ。
 つまり、散歩偽装者だ。だが、別に犯罪を行うわけではない。さまよい姿を散歩姿に映る努力をやっているだけのことだ。
 数十年前、今の会社を選択した。そして、そこを追い出される羽目になった。
 選択する前の地点に戻りたかったのだろうか。そう考えると、この町を歩くのは合点がいく。ここを歩きながら選択し、そして数十年間勤めた。
 今回も、ここでまた選択するつもりで訪ねたようなものだ。精神的彷徨に目鼻を付けたいためだ。
 だが、その町はもう昔の面影はなく、マンションが建ち並び、町の特徴が消えている。
 それなら、作田の近所の住宅地と変わらない。わざわざこの町へ来た意味がない。
 古い町並みとは、昔と変わらない状態で、ずっとそこにあるような空間だ。
 自分は変わっても町は変わらないことを期待する。両方変わると立ち戻り場所の雰囲気が失せる。
 そしていつの間にか、その町を抜けていた。それが気づかないほど、よくある市街地に溶け込んでいたためだ。
 現実とは少し離れた空間を期待していたが、現実そのものになっていた。
 翌日、作田は山へ向かった。そこなら、二十年前とそれほど変わっていないと思ったからだ。
 そして、山道を歩いたが、ただ単に歩いただけの話で、精神的彷徨に、方向性を見いだすことはなかった。

   了



2010年1月13日

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