刹那の関係
川崎ゆきお
ふと立ち止まると、自分には何もないのではないかと橘は思った。
きっちり考えたわけではない。そのときの答えはすでに出ている。それなりの地位があり社会的な存在感もある。
考えたときの答えはそうだが、思ったときの答えは別だ。
「自分には何もないのではないかなあ」
橘はいつもの飲み屋で、友人ぶ話す。
その友人こそ、実は何もない人間なのだ。家族も作っていないし、まともに会社勤めもしていない。
「何もなけりゃ、こうして飲み屋で飲んでないだろ」と、友人が答える。
「どういうこと?」
「ほら、あそこで飲んでいる人、一人で飲んでるでしょ」
橘はカンターの止まり木に止まっている色あせた一団を見る。同じような服装で、同じような世代だ。
「一人だろ。止まり木の連中は」
「それが何か?」
「飲み友達もいないんだよ」
「一人で飲むのが好きなんじゃないの」
「人間関係ができていないんだ」
「決めつけちゃ駄目だよ」
「それに比べれば、僕らはこうして連れ立ってきている。何もないとは言えないだろ」
橘はそういう説明を、この友人から聞きたかったのだろう。
「しかしだ」
「何?」
「社会的に地位もあり、世間で立派に暮らしている人でも、似たようなものだよ」
「何もなくなるってこと?」
「刹那の関係じゃないかな」
「刹那か」
「そう、せつない関係さ」
「軽くて、淡い関係のこと」
「いや、関係なんて、すぐに消えるんだよ。だから、消えないようにメンテナンスしてるんだ」
「僕なんかどう?」
橘は、自分は大丈夫だと言ってもらいたかった。
「誰もが虚しい存在だよ」
「僕もかな」
「都合がいいから関係しているだけで、都合が悪くなりゃ、もう関係しない」
「君もか」
「今夜は橘君のおごりだろ」
「ああ、勘定は持つよ」
「だから、関係は保たれる」
「お金ないんだろ。だから、僕が払うから、気にしなくてもいいんだよ」
「ありがとう。この状態が続く限り、僕らの関係は崩れない」
「崩れるとしたら?」
「君が路頭に迷い、飲み屋に行ける金などなくなったときだろうな」
「それは当分ないと思うけど」
「あとは僕が金持ちになって、もう君にたからなくてもすむようになったときかな。これは君の意志じゃ決められない問題だろ」
「大金が入ってくるあてがあるの?」
「ないけど。あったら、料亭でごちそうするよ」
「じゃ、やはり関係は続くんだ」
「続くけど、中身は濃くないよ。適当だよ。いい加減なものさ」
「あ、もうそれでもいいか」
橘は自分の存在を確かめるためだけに、この友人とつきあっているのかもしれない。了
2010年1月16日