けやき屋敷
川崎ゆきお
盆地の端、なだらか山麓にけやきの大木がいい目印になる。
一人の浪人が、その目印に誘われるように山裾沿いの小道を上っていく。田畑はもうない。
浪人にとり、その目印には目的はない。大きなけやきがある屋敷ですよ。と、教えられたわけではない。だから、そこに屋敷があることも知らなかった。
ただ、当てもなく歩くよりも、目的地があった方がいいからだ。
寺でもあるのではないかと、老人は近づくと、ちょっとした武家屋敷だった。
こんな山裾に、ぽつりと武家屋敷があるのも妙だ。
門は閉まっているが、裏へ回れば、簡単に敷地内に入ることができた。
縁側に真っ白な髪の毛の老人が猫のように座っている。
浪人は会釈する。
真っ白な老武士も軽く手を挙げる。
「隠居所だよ」
浪人は警戒する。
警戒すべきなのは老武士の方だ。見知らぬ浪人者が勝手に入り込んだのだから。
「茶でもどうじゃな」
結局、浪人はその屋敷になが逗留した。これが最初からの目的だったのだ。
もし寺なら、墓守をやってもいいし、商家なら、用心棒でもいい。寺子屋の手伝いでもいいのだ。
ところがこのけやき屋敷は違っていた。ただの客人でよかった。
浪人に人望があったわけではない。また、老武士に徳があったわけでもない。
高齢でぼけていたのに違いない。了
2010年1月18日