小説 川崎サイト

 

希望教

川崎ゆきお




「生きるためには希望が必要なのよ。希望があるから生きられるの。そうでしょ」
 生徒の精神面での相談役になっている小山が話す。
「それはわかっているんですが、先生」
「わかったは、希望がないんでしょ」
「それはあるのです」
「夢や希望を探している途中じゃないの?」
「希望はたくさんあります。家のパソコンではなく、自分のノートが欲しいし、ケータイも新しいのが欲しいんですよ。ネットが見やすいやつを、ミニパソコンみたいでかっこいいやつ」
「立花君、それは希望じゃなくて、欲しいものでしょ」
「はい」
「希望というのはね、将来何かをやりたいとか、何かになりたいとか。そういうものじゃないと」
「そっちはないです」
「だから、悩んでいるんでしょ?」
「いえ、それはなくても何ともないんです。それに、下手に希望を持つのも問題でしょ。希望を持たないことを希望するじゃだめですか」
「立花君、それは高僧の境地よ。高校生じゃ無理よ」
「でも先生は希望を持てといってますが、それが叶う保証はあるのですか」
「夢は叶うものなのよ。諦めなければ」
「先生、それ嘘でしょ」
 小山は、この手の生徒は相手にしないことにしている。
「叶っていない人の方が多いんじゃないですか。保険もなく、進めませんよ」
「立花君、これはね。そういう態度が望ましいと言ってるだけなの。叶うと信じることが大事なの」
「宗教ですか先生。希望教とか」
「宗教じゃありません」
 小山は相手になってしまった。無視すべきだった。なぜなら、この生徒は、こういうことを言うのが目的のためだ。
「叶わないような夢を追うより、ふつうに食べていくだけじゃだめですか。ふつうに生きているだけじゃだめですか」
 つまり、小山はふつうに生きていけない人に対し、希望が必要だと言っているのだ。
 そして、この生徒は問題なくふつうに生きていけるのだ。

   了

 

 


2010年2月13日

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