小説 川崎サイト



百円割烹

川崎ゆきお



 どの料理も百円の呑屋があった。過去形で今はない。
 百円割烹という看板だけが残っている。
 空きテナントのまま、無意味に残る看板が哀れだ。
 蟻田は一度だけ入ったことがある。百均なので安いと思ったのだが、量に問題があった。
 安いというイメージは蟻田の勝手な思い込みで、百円割烹の割烹という文字を認識していなかった。
 一番安い呑屋は立ち呑み所だろう。次が大衆酒場で、小料理屋や割烹店になると板前が入り、値段のレベルも上がる。
 蟻田は自腹で割烹店に入ったことはない。
 百円割烹店に入った瞬間、割烹の「割」が分割であることを知った。百円分に割ったものではなく、僅かな量の料理に百円の値をつけていたのだ。
 タコの酢の物も百円だが、薄く切ったタコらしい断片がキュウリの透き間に見えているだけだ。
 千切り大根になると、百円では割高すぎる。
 冷や奴は一口で食べられる量だ。それが特別うまい冷や奴なのかというと、そうではない。その辺のスーパーで売っている一番安い木綿豆腐とかわらない。
 蟻田は割高な一品料理をつまみながら、割烹とは、そういうことなのかと気付いた。そのときは、これ以上財布をゆるめたくないので、退散した。
 オーナーも悲惨だった。一品しか注文しない客が長く粘り、満席状態になった。料理より、酒を呑みに来ているのだ。
 やがて常連が集まり、他の客はめったに来なくなった。
 常連達は座れる立ち呑み店として居着いたのだ。
 店は繁盛しているように見えるのだが、客が多いだけの風景だった。
 料理も百均だが、客も百均だ。
 やがて常連の社交場と化し、オーナーはボランティアの場所提供者のようになってしまった。
 蟻田はその後、行かなかったので、常連達の盛り上がりは知らない。
 百均商法に便乗し、狡く儲けようとしたオーナーの目的はもろくも崩れた。
 その割烹店が自分の尻を割ったのは、それからしばらくしてのことだ。
 
   了
 
 



          2006年6月3日
 

 

 

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