役の遠縁
川崎ゆきお
修験者の宿がある。霊場と呼ばれている山が近くにあるが、それほど有名ではない。山は深くなく、名山でもない。
ただ、役行者が開いた御山だと言われている。役と言う名の人がいた。役小角らしいが、まがい物がその後多く輩出したため、この霊場も役を抜き、ただの行者が開祖だと改めている。
そのため、この御山は役行者が開いたとは表向き伝えていない。
役行者の遠縁が開いたとされる時期もあった。さらに嘘くさくなる。そのため、いっさい役の行者とは関係がないこととした。
今、残っているのは御山の崖に建てられた籠もり堂だけだ。
ほぼ垂直に近い崖に寄り添うように柱が組まれている。
麓の村は林業の村で、籠もり堂は木こりたちが適当に組んだものだ。
村の行事と言えば、籠もり堂の組み替え作業程度だ。これは何となく続いている。
村で生まれ育った子供は、神秘なる世界があると思いこんで育つが、ある日から、その幻想から覚めるようだ。
宿屋にはたまに行者が宿泊する。
行者は町に住む人々で、年に数回、行をするようだ。彼らはプロの行者ではいが、山岳信仰者という名目を捨てていない。
宿屋で産まれた子供も大きくなり、やがて宿屋の主人となったが、このときすでに神秘はとっくの昔に消えている。
御山に神秘な何かがあるのではないかと思えたのは小学生までだ。
最近この主人は、それが残念でならない。山の神や天狗とかが御山を走り回っていた幻想が懐かしい。
できれば、今も本気でそれを信じながら日曜行者の団体客を迎えたいのだが。
そして最近は、本当にこの御山を開いたのは誰かを研究している。
答えはもう最初から出ているのだが。
それはこの宿の創業者だ。つまり、彼の先祖にあたる。
いつどこで、役行者から役行者の遠縁に変え、次は、役から完全に切り離したいきさつを知りたいようだ。
ブランドから切り離したことが有利になったのか、不利になったのかはわからない。
しかし、団体客だけでは食べていけなくなり、一般客の宿泊を考える時期にきていた。
最初に戻して、役行者が開いた霊山に戻すかどうか、今も思案中だ。
了
2010年2月20日