小説 川崎サイト

 

不思議な町

川崎ゆきお




「旅先で不思議な体験をするのは、その場所がよく分かっていないからですよ」
 旅館の亭主が旅行者に語る。
「ローカル線のとある駅で降り、その町を歩いていると、町の人の視線を感じる。しかし、誰もこちらを見ていない。後ろを振り返ると横を向いている。さっきまで自分を見ていたはずなのに」
「それはあります」
「つまり、見ているのだが、すぐに視線を外す」
「そうです。さっきまでじっと見ていたのですよ」
「そして、前から来る人に視線を合わそうとするが、目が合わない。見えているはずなのに。しかもよそ者の自分を見るはずなのに、見ていない」
「そうです。挨拶しようとしても、目を合わせてくれないのです。そういうことは全て、その町の様子を知らないためでしょうか」
「それは関係がない。気を回しすぎて、そう感じてしまっただけで、意識的になるからです。視線が気になれば、ずっと視線ばかり気にする。これはいつもの町でなら起こらないことです。ただ気にしていないだけ。ただ、これをその町の不思議さと結びつけることは可能でしょう。不思議さと分からないこととはお友達ですからな。自分の知らないところで、何かあるのではないかと憶測する」
「なるほど」
「町の人がみんな結託し、監視しているのではないか。などもその例です」
「もし、そんな町があれば、面白いでしょうねえ」
「しかし、町ぐるみでそんなことが可能かどうかを考えると、不可能でしょう。よほど狭い町で、全員が親戚のようなね。その規模なら、町ではなく、村でしょうな」
「あのう」
「なにか」
「どうして、そういうお話を?」
「いやいや、この町はそんな町じゃありませんよ。ご心配なく。たとえば……」
「たとえば?」
「町の人、全てが魔物に取り憑かれているとかね」
「ははは、それは全くあり得ないたとえですねえ」
「あるいは、全員何かの宗教の信者だったとか」
「それは門前町ならあると思いますが、それほどきつい宗教じゃないと思いますよ。お寺さん関係なんだし」
「そういうことです。ちょっとした事情はあっても、あとは旅人の錯覚なんですよ。不思議な町の印象はね」
「でも、どうして、わざわざそういうお話を?」
「そんな不思議な町の旅館の亭主なら、私もわくわくするのに、と思っただけですよ。そしてね。不思議な体験をこの町でした旅人に、実はそれには深いわけがあるのですよ。と語りたいだけなんですよ」
「じゃ、夕食まで、ちょっと散歩してみます」
「不思議なことなど、何もありませんからね。この町は。だから安心して……」
「は、はい」
 
   了

  


2010年4月14日

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