万年の宿
川崎ゆきお
「面白い場所へ行ってきましたよ。よく戻れたと思うほどです」
「そんなにいい場所なのかね」
旅行に出ていた部下を見ながら、上司は怪訝な顔をする。部下にとって面白い場所でも、自分にとってはさほどのことではない場合がある。そして、面白いと簡単に言ってしまう部下の言葉づかいも気に入らない。
それも含めて、上司は不機嫌なのだ。
だからこそ、部下は上司のテンションをあげるため、無理に楽しそうに面白がっているのかもしれない。
「どう、面白いのかね?」
上司は最初から、部下の話は面白くないと決めつけて問いかけた。
ネットで調べて行った民宿なんです。特に観光地でも温泉地でもありません。そんなところにかなりの数の民宿があるんですよ」
上司は少しだけ興味を示す。
「昔の街道がありますよね。それのもっとローカルな道のようです。街道名は忘れましたが、私鉄が走ってます。この私鉄、偉いですよ。かなり長距離走ってますからね」
「それで……」
上司は本題を急いだ。
「はい。背景は省略します。僕が泊まった民宿は相部屋なんですよ。だから安い。長逗留している人もいるようで、ほとんど下宿屋ですよ」
「療養のための宿かね」
「いえ、温泉もないし、来ている人は元気そうです」
「それで……」
「建物は結構古いです。昔の宿場町の面影が少しだけあります。保存地区じゃなく、ただ古いだけです。それに江戸時代にできたような建物も、トタンで補強されていたり、エアコンがむき出しだったりで」
「風景描写はいい。その状態じゃ、それほど面白いわけじゃないだろ」
「はい、本題はその内部なんですよ。相部屋なんですが、まあ、ふつうの家です。宿屋じゃない。個人の古い家なんです。しかもかなりぼろぼろの」
「続けなさい」
「はい。その座敷なんですが、布団が敷き詰められているんです」
「それで」
「布団の中には人がいます。要するに寝ているんですよね。びっしりと」
「それは妙だね」
「観光が目的じゃないです。宿泊客はこの布団が目的なんです」
「話が少し変じゃないかね」
「そこに面白味の、白身があるところです。魚のね」
「具体性に欠けるね」
「この民宿の名前は怠け堂でした。隣の家は朝の千両です」
「朝の千両?」
「冬の朝、あと五分寝たいでしょ。その価値が千両だという意味です」
「何となく見えてきた」
「わかってきましたか。この面白さが」
「いや……」
「それで一泊のつもりが二泊になりましてねえ。できれば一週間ほど、あの万年床にいたいですよ」
「布団はあげないのかね」
「客が帰ればあげますよ。でもびっしりです」
「そうか」
「別に観光名所じゃなくても、流行るんですよね」
「そうか……」
「どうかしましたか?」
「いや」
「あ、場所教えますよ」
「ああ」
了
2010年4月26日