小説 川崎サイト

 

歯が抜けた

川崎ゆきお




 岩田はほぼ毎日その道を通っている。自転車で通り過ぎるだけで、その町との関係はそれだけだ。
 しかし、見慣れた日常風景として岩田の中に入り込んでいる。岩田の世界、岩田の背景には、この町の通りがある。
 用事のない町だが、岩田の日常の中に組み込まれている背景のようなものだ。
「すっきりしたなあ」
 歯が抜けていた。
 岩田の歯ではない。家が一軒抜けているのだ。更地となっている。
 毎日通っているのだが、気づかなかった。抜け落ちたことではなく、そういう工事をやっていたことを覚えていないのだ。
 シートのようなものが張られていたような記憶がかすかにあるが、ここだったのか、違う場所だったのか、またかなり前の話なのか、そのあたりも曖昧だ。
 だからいきなり歯が抜けたわけではなく、数日かけて取り壊したのだろう。
 もしかすると、数時間で片付けてしまったのかもしれない。取り壊すだけなら数時間だろう。
 岩田はその工事中に、この通りを通らなかっただけなのだ。
 しかし、岩田にとっては突然出現した更地になる。
 そして、以前、そこに何が建っていたのかを思い出そうとしたが、全く絵にならない。
 通りの左右は民家で、店も少しだけある。マンションの一階には美容院、民家の間にぽつんとクリーニング屋があったりする。
 そういえば蕎麦屋があったのだが、それが消えている。今は普通の住宅になっている。
 歯が抜けたのは民家なのか、店なのかが分からない。
 確率としては互角だ。
 以前も工事中の家があった。クリーニング屋だ。少しだけ改装して復活している。
 もし、この通りの写真があれば、何処が消えたのかが分かる。おそらくその家も覚えているだろう。この通りの家は全て建て方が違う。だから、写真を見せられれば分かる。
 しかし、何の手がかりもないまま、何が建っていたのかを思い出すのは不可能だ。
 翌日、もう一度それを確認しながら通る。
 どうやら店屋ではないようだ。記憶にある店屋は全部残っている。
 すると、民家だ。家が古くなったので、建て替えるのだろう。
 更地の向う側に、初めて見る家が顔を出している。また、更地の両隣りの家の側面が露出している。
 岩田はいつも見慣れた通りが、少し違って見えるので、新鮮な気持ちになる。
 しかし、何が建っていたのかは未だに思い出せない。
 おそらく死ぬまで、その答えは見つからないだろう。聞けば分かることだが、そこまでするようなことではない。
 
   了
   


2010年4月30日

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