小説 川崎サイト

 

伝統芸

川崎ゆきお




 子供が泣いている。小学六年生の少年だ。
 少年はカスタネットを叩いていた。カチカチと。
 真剣さが足りないと、先生から叱られて泣いている。
 真剣さとは、やる気のことだ。
 少年はカスタネットには興味はない。ただ、全員参加の演奏会のため、欠席は許されない。それに、その日まで連日練習が続いている。音楽の授業ではない。また、クラブ活動でもない。
 この学校の伝統的な行事なのだ。
 そんなことを知らないで、少年家族は、この村へ引っ越してきた。自然が豊かで子供の成長にも都合がいいと考えたからだ。
 そう考えたのは、実はついでで、本当は両親は都会から逃げ出したかったのだ。ネットの仕事がうまくいき、田舎でも仕事ができるようになったからだ。
 少年は両親から叱られたことはない。だから、大人から叱られて泣いたことはない。そのため、泣き方がわからない。
 先生が鬼のような顔で少年をこっぴどく叱った。
 カスタネットの演奏をふざけながらやっていたわけではない。まじめにやっているのだが、音がはずれるのだ。
 カスタネットは叩くのは一カ所だ。一番簡単なはずなのだが、それでも叩くタイミングが悪いようだ。
 先生はそれをやる気の中さ、真剣さのなさと見て、本気で怒ったようだ。
 先生はまじめに、真剣に叱っているので、これは指導なのだろうが、少年はいじめられていると感じた。
 たかがカスタネットであり、たかが学芸会の出し物なのだ。適当でいいはずだ。
 だが、この学校は楽器演奏で有名らしく、全国大会にも出るほどなのだ。
 翌日、少年は当然のように不登校となった。もう怖くて行けないからだ。
 いくらまじめに、真剣にやっても、音がはずれる。本人は合わせているつもりでも、合わないのだ。真剣にやっているのだが、調子ぬけした音を出したり、ずれる。
 みんなと息を合わせれば、問題はなさそうだが、息とは何かがわからない。
 少年は両親に話が違うと訴えた。自然が豊かで、田舎の人は、みんなのんびりしているから、住みやすいと。
 父親も実は音痴で、痛い目にあった経験がある。
 それで、すぐに納得し、音楽の緩い小学校のある地方へ引っ越すことに決めた。
 しかし、それを調べるのは容易ではない。
 もし、音楽が緩い学校があるとすれば、先生が真剣に音楽と取り組んでいない学校だ。
 だが、担任の先生を調べるわけにもいかない。
「もっと音の調子を外すことだ。あきらめてもらうことだ。もう君は演奏会には参加させないというふうに持ち込むことだ。いいな」
 父親は自分が昔使った手を子供に伝授した。その父親も、その父親から教えられたもので、これはこの家系のお家芸であり伝統芸だった。早くそれを子供に伝授していなかったことを、父親は悔やんだ。
 少年は無事、難を逸した。
 
   了


2010年5月7日

小説 川崎サイト