独自の視線
川崎ゆきお
独自の視線で物事を直感的に見ることができるされるエッセイストがいた。元々画家である。だから、観察力が鋭いのだろう。
画業より、エッセイの方で人気が出た。
しかし、最近独自の視線にかげりが出てきた。
本人は相変わらず独自に視線で語っているのだが、そのパターンを覚えられたので、意外な発想が意外ではなくなってきた。人々が慣れてきたためだ。
だから、彼なら、おそらくこう言うだろうということまで予測されるようになってしまったのだ。
また、他にも独自の視線で語る人が多く出てきており、彼の独自性も目立ったものではなくなったのだ。
それで、極端な視線に走り出し、より独自性を出そうとした。
普通のことを語ったのでは相手にされないため、ノーマルな視線には戻れないのだ。
そして、突拍子もないことを言い出すようになる。これは直感で得た思いつきや繋がりではなく、暴言に近いものだった。
「昔は、君の話、面白かったのだけどね。今は、同じようなことをいう人が増えたからねえ。それだけのことだから、気にしなくてもいいんじゃない。今まで通りで」
友人が彼の悩みを聞いてやっている。
「面白い人が増えたからねえ。飽和状態なんだ。だから、よりエスカレートして暴言に近い路線を行くより、面白くない人になったらどうかね」
つまり、友人は、普通の常識的なエッセイストになれと助言したわけだ。
「君とは古い友達だ。だから、僕にはわかっているんだ。君は常識人だ。それがいやだから演出してただけなんだ。直感で本質をずばり言い当てるのが君の売り文句だけど、本当にそれが直感だったのか、僕には解せない。つまり、違うんじゃないかと思うんだ」
つまり、彼は無理に面白く語っていたことを、見抜いていたのだ。
「確かに君は面白い人間だよ。しかし、それはひねくれているだけで、君の本質じゃない」
そして友人は、今度は面白くないエッセイを書くことを進めた。
その後、彼の仕事は減りだした。
「どうだい調子は。仕事は減ったみたいだけど、面白くない話の方が君らしいよ」
彼はもう無理な作文をしなくてすむので、精神状態がよくなったようだ。
やがて、面白くないエッセイが、さらに面白くなくなった。
そして仕事はほとんどなくなったようだ。
名もないその友人は、満更でもないようだ。
了
2010年5月23日