小説 川崎サイト

 

欠乏感

川崎ゆきお




 吉田は会社勤めだけをしている。
 他にバイトをやったり、隠れたる本業があるわけではない。今の仕事だけで目一杯どころか、やることが多く、時間が足りないほどだ。そのため余裕がない。
 週休二日だが、土曜に出勤することもある。残業を増やすよりも、休日を使う方が楽なためだ。
 それでも吉田の仕事は多い。いつの間にか増えてしまい、手に余るようになっている。
 そのため、日々プレッシャーがかかる。
 遅れている……ということが重荷なのだ。そして、焦りになる。
 しかし、収入は悪くはない。
 その夜も遅い時間に、駅前に降り立った。立ち止まったわけではない。ところてんのように改札から押し出され、駅前の歩道に流れ込んだだけだ。
 ふと立ち止まる……ということがない。
 少しでも早く帰り、ゆっくりしたいのだ。
 寝るまでのわずかな時間だが、貴重な時間だ。しかし、疲れており、自由な時間があっても何もできない。
 駅前にコンビニがあり、そこで遅い夕食を買うのが日課だ。
 その日も弁当を買う。いつも幕の内弁当を買っている。他の弁当を選んだとしても、似たようなものだ。
「やあ、吉田君じゃないか」
 レジで旧友から声をかけられる。中学時代の同級生だ。
「たまに見かけるけど、頑張ってるねえ」
 作業着スタイルの同級生がスーツ姿の吉田をじろりと見る。
「じゃ」
 吉田は面倒なので、すぐにレジをすませ、コンビニを出る。
「江戸時代を知ってるかなあ」
 後ろから会話の追撃が来た。それほど親しい関係ではない。会釈程度の関係でよいはずだ。
「江戸時代の町人と武士、どちらが豊かだったと思う」
 吉田は面食らった。
「僕は町人だと思う」
「あ、そう」
 吉田は足を早める。いかにも急いでいるような、用事があるようなふりで。
「時代劇小説にはまっていてねえ。町人の方が力があったんじゃないかと、これ自説だけどね」
「用事があるんで」
 吉田は会話を振り払った。
 吉田は怖いような早足で距離を開けた。
 江戸時代。町人。武士。吉田の中には全くない世界だ。
「あっ」と、吉田は思いだした。
 あの同級生と、昔、そんな話をした記憶がある。
 吉田は武士と答え、同級生は町人だと答えた。
 欠乏感。
 大きく何かが欠けてしまっている自分を吉田は感じた。
 それに触れたくないので、あの同級生を振り払ったのだろう。
 
   了



2010年7月26日

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