小説 川崎サイト



夢見の椅子

川崎ゆきお



 久住はある夢を見た。その夢は忘れていた場所だった。
 殆ど思い出すことのない記憶へアクセスした感じだ。
 久住が十代後半の頃、通っていた喫茶店の夢で、その夢を見ることは初めてで、それだけに気になった。
 夢が何かを知らせているのではないかと思い、出掛けることにした。
 と、いっても実家のあった街で、何十年も行っていないし、また距離的にも遠く離れている。
 夢に出てきたのは喫茶店だ。久住は新聞配達のバイトの帰り、その店へ毎朝立ち寄っていた。二年ほど通った。
 すっかり常連となり、自分の席が出来ていた。スポーツ新聞や漫画を読みながらモーニングサービスのトーストをかじった。
 その程度の記憶しか残っていない。人生に関わるような何かが起こったわけでもないし、興味深いエピソードもない。
 だから、夢でいきなりその記憶に触れても、思い当たるような何かがない。
 しかし、そういう時代もあったのだと思うと、懐かしく思えた。
 どことなく開かずの間を開けるような嫌な空気もある。触れてはいけない記憶ではないが、夢で見たことで怪しさを感じた。
 久住は翌朝、駅に降り立つと、街の変わりようにただただ驚いた。実家のあった場所までの道も一変している。
 久住は、もうあの喫茶店はなくなっているのではと半ば諦めていたのだが、昔とそれほど変わっていない状態で残っていた。
 久住が見た夢は、喫茶店で休憩しているだけの何でもないシーンだ。
 これは、内部からではなく、外部からのコンタクトかもしれない。そう思いながらドアを開けた。
 そこにいる客達に見覚えがあった。あの頃の常連客がまだいるのだ。
 老人たちは久住をしばらく見つめていたが、それが久住だと分かったようで、それを確認すると週刊誌や新聞に目を戻した。
 久住はいつもの場所に座ると、老婆がおひやとおしぼりを運んできた。
 二十年ぶりだ。
 牛乳屋の大将や不動産屋の親父……彼らはまだここの常連なのだ。
 久住は二十年ぶりに座るその椅子に懐かしい温度を感じた。
 夢を見させたのは、この椅子かもしれない。
 
   了
 
 



          2006年6月18日
 

 

 

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